ここには痛みがない。
――それゆえに、絆もない。
アルテミス・オンライン
ディース・エンターテインメント・プレゼンツ
*
竜はかち合わぬ顎を鳴らせた。
地下深い迷宮で、一匹は幾星霜もの齢を孤独のみを伴侶として過ごさねばならず、また過ごさねばならなかった。弑されることのみが存在意義であり、しかし滅することもできず永遠に生き続けることが使命であった。
決して届かぬ夜空を仰ぎ見るように、竜は思う。
世界とは何であるか。現実とは何であるか。
己の肉体はただの殻に過ぎず、己の意識はマトリックスの集合体にしか過ぎない。時間の経過そのものに意味がなく、あまつさえ思索すら価値を持たない。ならば何のための存在か、届かぬその前肢を悲しむ気持ちも、今はもはや無い。
黄金の鱗に覆われた鼻腔からふた筋の白煙をあげ、自らの墓標とする。それも心を慰める役に立ちはしない。身じろぎするたび、その綻びから自分が0と1の小片となり千々に砕けてしまうのではないかと思えるからだ。
この世界には何もない。
言葉はコミュニケーションツールではなく、瞳は光子受容体ではなく、空間と時間は互いに喰らいあって絶命するだけ。
――神よ。
それは許されぬ問いかけだった。知ってはならぬ存在だった。なぜならすべての意識体において、創造主を認識できないということが、存在を許される第一条件であったから。
竜は哭いた。
己への憐憫と虚無への呼びかけと、僅かばかり混じった上位存在への怨嗟が含まれたその慟哭は、切り取られた空間を震わすことなく迷宮の薄闇に吸い込まれた。
*
天井の伽藍は、どこか空に似ている。
どこからともなく入り込んだ光を反響し幾筋もの光をばらまく透明な硝子模様は完全な左右対称になっていて、思わず息を呑む高さと広漠さで視界いっぱいを覆っている。ここから見る限り材質は大理石のようにも、純白の蛍光灯のようにも見える。
距離感さえも危うくなるほどの途方も無く巨大な大神殿の広間、そのど真ん中でその時、預かり手である神官が俺に無味乾燥な講釈を垂れていた。
「――であり、導かれし神の標に従いて正しく道を追究すること、また正義に則り悪しきを挫き弱きを助け、与えられたその力を常に正しきことにのみ振るう正義の剣であることを、ここに誓えるか」
「うい」
俺は話を半分も聞いていなかったが。
神官はプログラムによって決められた通り満面の微笑を返すと、両手を掲げて声高に宣言した。
「では、神の御名を以ってここにユノーユの錬金術師としての資質を認め、その道を探究することを許可する! 鍛錬に励み、己を磨くように」
俺の足元から円環状の光が噴き出し、全身を包み込む。あまりの光量に俺が思わず目を閉じた瞬間、いくつかの処理が周囲を走り、瞼の裏にいくつかの文章が走り抜ける。
再び目を開けた時、俺の姿は朱色の脚半に手甲、長靴に長外套という出で立ちの、背の低いホビットというものに変化していた。
両手を見下ろす。五指を左から順番に握り、また開いてみる。首を上下に動かし、膝を屈伸させ、上半身を回してみる。
接続不良なし。アバターの操作感も上々だ。
「転職、成功!」
会心の笑みを浮かべて振り返ると、台座の下でこちらをニヤニヤ見上げている仲間たちと目があった。
「おめでとうユノーユさん!」
「いやー、まったく手間のかかる転職だこと。あたし帰ろうかと思っちまったよ」
「手伝った甲斐があったッス! 似合ってるッスよ! よっ、錬金術師!」
仲間たちの喝采やら揶揄やらに、片手を上げて苦笑で答える。
「いや、下々の諸君の地味な働きのおかげだ。朕は満足であーる」
「誰がシモジモだ!」
手を振り回して言い返す女魔導士のチハルをニヤニヤ笑いで制し、戦斧使いの巨漢グレイとハイタッチを交わす。その倍近い身長差のせいで、グレイは屈まなければならなかったが。
「さあて、早速配下の諸君を連れて試し斬りといきますか?」
「配下っていうなっ」
俺の軽口にチハルが答えると、回復役のコウが控えめな声で発言した。
「あの、いいですか?」
その言葉に俺を含めた3人が反応する。
「なに?」
「今日8時あたりから、GM主催のイベントがあるって告知で見たんですけど、皆さんどうします?」
俺たちは顔を見合わせた。
「そんなのあったっけ?」
「ユノーユ、あんた見てないの? アップデートあったわよ」
「いつ?」
「昨日の日付変更あたりに」
「そんなの知るわけねーって」
「あ、それならオレも知ってるッスよ」と声を上げたのはグレイ。「広場で噂してるのを耳に挟んだだけなんスけど。なんでも、新チャンの特別マップが出てくるとかなんとか。ホントッスかねぇ?」
巨漢の言葉に、俺は首を傾げた。
ワールドの課金が開始してから三年、GM主催の臨時イベントはすっかりなりをひそめて久しい。せいぜいPKとPKKのランキング発表ぐらいが関の山で、特別マップがどうとかなんていう前進的なんてのはとんと耳にしたことがない。
「8時っつったら、もうすぐか」
「でしょ? あんた、どうするの?」
「でもなあ。なんか急だし。あの事件のこともあるし、マユツバじゃねえの?」
力試ししたくてうずうずしていた俺はその言葉を一蹴しようとしたが、その言葉にチハルが反応しようとするより早く、視界がチカチカ明滅し、データの干渉を示す処理の重さが全身を包んだ。
『アルテミス・オンラインの世界にようこそ、ユーザーの皆様!』
俺たちの耳の内側から、滑らかな合成音が響く。
「おっ」
「アナウンスか?」
「こ、これなんですか?」
「しっ、静かに」
『平素よりアルテミス・オンラインをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます! 今回はワールド数600突破記念といたしまして、《シルバーソーンの世界を探訪しよう! 伝説の剣イベント》を開催いたしたいと思います。湖の宮殿アナスタシアから出発し、各所でイベントをこなすポイントラリー制の冒険。謎を解く手がかりを探し出し、真実を暴きだせ! シルバーソーンの秘密を解き明かし、伝説の剣を手にするのはどの冒険者か? 旅人の道を阻むモンスターも強力無比、新たに登場する新顔モンスターも多数待ち構えております!
それでは皆様の参加を、心よりお待ちしております!』
耳の奥の発声器官から響いてくる明るい声は、それだけ言うと返事も待たずプツリと途切れた。
*
俺の名はユノーユ。少なくともここでは、そう呼ばれている。
もちろん、本名は別にちゃんとある。れっきとした日本人であり、学生でスネ齧りの身だ。だが、ここではそんなことは関係ない。誰も自分の正体を曝け出そうとしないし、他人のそれに踏み込もうとしない。なぜならここは別の世界、仮想現実の世界だからだ。
3つの管理ホストに、602のサーバーホスト。電気信号で構成された、剣と魔法のファンタジー世界。作り物の、抜け殻の世界。
神経伝達解析と電脳技術の飛躍的な向上により、走る、投げるといった行動から眼球の挙動までも、コンピューター上で再現できるようになった。それに加え高温超伝導通信、家庭端末の処理能力向上が、こういった仮想世界業界の進展に拍車をかけた。まるでSFか一昔前のマンガの世界だが、現実の話だ。
そうして生み出された世界は、代替の現実にもかかわらず、いや、だからこそ社会現象になるほどの一大ブームを巻き起こした。だが、いや、それゆえに、と言うべきか――当然の帰結のように、社会病理や影も多く産み落とした。
ここでそれに触れるつもりはない。
このゲーム――アルテミス・オンラインの世界では、自分の望む姿を得られる。誰もが手軽に戦士や魔法使いになることができたし、正義の徒にも悪人にも、富豪にも盗賊にもなれる。性別さえ、ここでは自由に選べるのだ。もちろんそれはネカマという、少々厄介な問題を生み出しはしたが。
ユノーユは、背が低く手先が器用なホビットと呼ばれる種族(指輪物語で一躍有名になったアレだ)の出で、金属の練成に長ける錬金術師という職種だ。Feなどの卑金属を貴金属に練成させる冶金をその派生源としていると思われがちな錬金術師だが、意外にも呪術やタリスマン(護符)などの扱いに長け、生物兵器まで手広く扱う、いわば戦闘職である。
今現在パーティーを組んでいる仲間たち――もちろん現実世界に存在する日本人でもあるが――も、それぞれ種族と職業を持っている。
「ちょっとユノーユ、マジメに探しなさいよ?」
俺の目の前で背を屈め目を細めている女は、女魔導士のチハル。通称『姐さん』。耳が長く尖ったエルフ族で、派手な攻撃系の魔法を使う。挑むような肢体と、炎の魔法を扱う徴である真紅の刺青が頬を飾る。俺とはそこそこ長い付き合いだ。腐れ縁とも言うが。
「姐さん、こんなトコに四葉のクローバーなんて生えてるんスか?」
地面に顔をくっつけて必死に探し物をしてるのは、巨漢の戦斧使いグレイ。某有名アニメ番組から名前を取ったというその戦士は、俺の胴ほどもある腕や、いかつく角張った肩からは想像できないほど臆病で丁寧な奴だ。実はついさっき顔をあわせたばかりの初対面。俺の転職騒ぎで戦闘の前面に立てる前衛を募集したところ、声をかけてきた。ハイランダーという種族で、職業は樵。
「なんだか面白いですよね。アイテムを持っていったら何があるのかな」
楽しそうに古びた水瓶を覗き込んでいる性別不詳は、回復魔法を使うコウ。チハルのほうの知り合いらしく、俺とはつい先日キャラデータ交信をしたばかり。アラド=ドナ族はもともと明確な性別をもたない種族なのだが、本人の挙動がその中性さに拍車をかけている。パーティーで唯一復活魔法を使えるメンバーのため、地味ながら戦闘における最後の要。
そんなところかな?
「あった、ありましたよ姐さん!」
グレイの甲高い声に振り返ると、褐色の巨漢は嬉しそうに小さなクローバーを指先で摘んでいた。なんともアンバランスな絵だと、俺は思った。
「わぁお、よくやったグレイ! これなら間違いなくあたしたちが一番乗りだね」
「ホンモノか、それ? 三つ葉のクローバーの葉を千切って作ったんじゃねーだろーな」
「れっきとした本物ッスよ! 第一そんなセコい手、この世界ではできないッス」
それもそうか。
「じゃ、これをトナ港のNPCに交換させれば」
「人数分のクエストアイテムが揃いますね!」
俺たちは顔を見合わせてニヤリと笑った。
*
トナ港のNPC《物好きアッシュ爺さん》に四葉のクローバーを渡し、《吸血エビの鱗》4枚を入手。これと用意した種々のアイテムを持って港の宮殿アナスタシアに向かい、調合師にしかじかの原料を渡すと、眠り病の特効薬を作ってくれる。人数分のそれを、《指輪の寵姫》あるいは《至上の宝石》と呼ばれるNPCに調合。快癒のお礼に関門の通行証を貰う。もちろん人数分必要だから、このイベントは4度こなす必要がある。
そのしち面倒くさいイベントをさくっと終わらせ、俺たちは未開の土地、ロードオブローグに向かうこととなった。
*
紅蓮の剣歯虎が跳躍する!
「そっちだ!」俺はカッサンドラを振り回して檄を飛ばす。
「は、速いッ! こんな敵ありッスか!?」翻ったモンスターの一撃を、グレイの手甲が辛うじて受け止める。飛び散る火花。
「ノロノロしてたら岩頭喰いちぎられるぞ!」言いながら、俺は振り返りざま懐のルーンを手近な一匹に発動させた。「封印の護符!」
「そっちのガイコツには魔法が効きませんよ!」メンバーの傷を癒しながら、コウが叫ぶ。
「しゃらくせぇ、みんなまとめて灰になりやがれ! バーニングボルト!」
「どえええ、姐さん、PKする気ッスかァ!?」
岩と砂礫の土地で、俺たちはモンスターの一団の襲撃を受けていた。イベント用のマップなので、初めて訪れる土地に俺たちも敵の強さが掴めない。どうしても行動が後手に回る。
空中から翼持つ魔物たちが飛来し、俺の肩口に鉤爪を突き立ててくる。
「ぬおああ死にさらせっ、多重結晶!」
俺の剣から物質置換された珪素の刃が軋み声を上げながら成長し、身長を超える超長剣の刀身になった。仮想現実ならではの物理制約を無視した刃が俺の頭上をうなり、悪意の塊みたいな顔をした獄門鳥の胴を捕らえ、黄金色の火花を上げる。
この世界では物質は切っても切断されない(グロいから)。その代わりに黄金と赤緑色の火花が飛び散り、ダメージを表すわけだ。
無残に落ちて消滅するモンスター人差し指をつきつけながら、俺は叫んだ。
「錬金術師サマの実力を見たか!」
「駆け出しがいきがるんじゃないわよっ!」
チハルが杖を振りかざして魔法《アイスニードル》を起動、なにもない空中から発生した無数の氷の槍が飛翔し、敵を自動追尾。旋風のごとく空中を駆け回り、敵を串刺しにしていく!
基本的に魔法は叫ぶことによってゲームに音声認識され発動する(現代人の脳に『呪文を発動させる部位』がないため)が、チハルの場合ほとんど聞こえないほどの小声で魔法詠唱するテクを身につけている。これがなかなか難しいワザなのだが、チハルがそれを常としている理由は、敵PCに戦略を悟られないためとかではなく、単に『学芸会みたいで恥ずかしいから』なのだそうだ。
俺たちは右に左に旋回し、次々と敵を屠っていく。受けた傷はすかさずコウが治癒する。
俺の発動させた活性化魔法でステータスを増加させたグレイが、何度目かの剣歯虎の跳躍を叩き落した。その斧が翻るより早く、新手の一団が咆哮と共に襲い掛かってくる。
「次から次へとっ」
「このままじゃMPがもちませんよ!」
「コウ、ターニングバリアの魔法を! いったん退避するわよ! いくら倒してもすぐ再読み込みされるんじゃキリがない!」
言いながらチハルが消費アイテム《幻映水晶》を使用。モンスターの攻撃方法にランダム値が加算され、アタック回数が逆に減少する。
コウの魔法を合図に、俺たちはモンスター出現エリアの境界を目指して走り出した。
「ふぅ……ったく、どうなってんだ? こんなにワンサカ湧きやがって」
ようやく岩陰で人心地ついたときには、全員がヘトヘトだった。とはいえ実際に筋肉を動かしているわけではないので、なんとなく疲れたような気がするだけなのだが。
「倒しても倒してもすぐ再読み込みされて復活しやがる。ったく、GMめ、単純な設定にしやがって……」
「やっぱりPCの数が少ないんじゃないッスか? ほら、このマップに来てからまだ他のPCに会ってないし……」
「そういえばそうだな。妙な感じだ」俺は言いながら、瞼を閉じた。「ちょっと待ってくれ。このマップの接続人数をチェックしてみる」
目を閉じると、ダークグリーンを背景にいくつかの光るウインドウが目の裏に浮かび上がる。コマンドを口頭で入力し、現在のサーバーデータを起動させる。
「……妙だな」俺は目を閉じたまま言った。「ちょっと、みんなも見てくれ」
「何か妙なことでもあるんスか?」
「ふぅん、確かに妙ね。人数が少なすぎる」
「そうなんだ。この448番ホストに接続している人数が88人、それなのにこのイベント用マップに接続してる人数が、今現在でたった7人しかいない」
「そのうち4人はオレたちとして……残り3人?」
「3人のうち何人かはGMでしょうね。だとしても……やっぱり少なすぎるわ。何かあったのかもしれない」
「でも、これは逆にラッキーじゃないですか。ライバルのPCが少ないってことなんですから。俄然一番乗りのチャンスが増える」
「たった3人に勝ってもなぁ」
「それだけじゃないわ。さっきの戦闘だけど……コウ、気がついた?」
「え?」首を傾げるコウ。「何がですか?」
「ライトニングローダーの詠唱の時、魔法の読み込みが重かった。何か裏で大きい処理がされてるのかもしれないわ。そうじゃないと、説明がつかない」
「そうかぁ?」
「GMが何か大きいプログラムを走らせてるってことッスか?」
「分からない。けど、どうも引っかかるのよね」
「カンか?」
「カンよ」
こういう時のチハルの勘は外れたことがない。
「でも……いずれにしても、先に進むしかないんじゃないですか?」
「確かにね」
「ま、なるよーになるさ」
「もしモンスターに殺されでもしたら、大事なキャラクターをロストしちゃいますからね」
グレイの言葉に、俺はニヤリとして続けた。「死んだらまた生まれ直すだけさ」
*
関門を抜けると、GMからのメッセージとおぼしき立て看板があった。『勇猛なる冒険者たちよ 伝説の剣シルヴァンスは 果ての古城にて眠る』。安っぽい文句だなァと皆で愚痴りながら進むことしばらく、俺たちは小さな村に辿りついた。
「果ての古城と言えば、たぶん背景設定のコーナーにあった《オニキスの塔》のことじゃないでしょうか。だとすると、入るのに多少のカラクリや謎解きがあるのは間違いないと思います。多分そのための村――そう考えるのが妥当だと思いますよ」
意外に博識なコウがそう言った。
「なるほど、情報集めのための布石、ってワケか。いかにもクエストっぽくなってきたな」
「しかし、思ったより凝ってるッスねぇ、このイベント。もっとテキトーな内容かと思ってたんスけど」
「イベントのないゲームなんて死んだも同然。最近接続数が下向いてるし、ディースも必死なんでしょ」
「はあ、そんなもんッスかねえ」
「気合い入ってるだろうなあ。前回のイベントの汚名返上の意図が見え見えだし」
「前回って……なんです?」
コウが首を傾げた。
「あれ、知らない? たった一人の荒らし屋のせいで大惨事になった、《サンディ城事件》。そんなに前のことじゃなかったと思うけどなあ」
「意趣派のサイト近辺じゃ結構な大騒ぎになったんだけどな。公式発表もなかったし、知らない奴もまあいるんじゃないか」
「どのくらいの規模だったか忘れたけどさ、確か10か、20か……」
「18だ」
「そうそう。アナスタシアのサンディ城が、ある時突然ダウンしたの。それも18のホストで、一斉に。2時間くらいだったかな、ようやく開通したんで見に行ってみれば」
「そこには互いに殺しあったPCたちの屍が累々と」
「ひええええ」
「な、何があったんですか、そこで」
「後になって聞いてみれば、どうもそのマップだけハッキングを受けて脱出不能になったらしいんだ。で、そのハッカー坊や――《チキン・ボーン》とかって名乗ってたらしいけど――が電波ジャックよろしく中のPCにアナウンスを始めた」
「『君たちは2時間後に全員、死ぬ。キャラクターをロストしたくなかったら、最後の一人になるまで殺し合え。優勝者には賞品と、生きる権利を与えよう』」
「正気ッスかそれ」
「さあ。少なくとも特A級のハッカーの仕業ってことは間違いないだろうな。それだけのホストを同時に、しかも2時間も中央の介入を退けてコントロールし続けたんだから」
「げげげ」
「コントロールしたのはサーバーだけじゃないわ。……その放送を聞いてもまあ、中の人たちは相手にしなかったそうよ。少なくとも、最初はね。何をバカな、って。ただまあ、ロストが怖くなったのか賞品に目がくらんだのか、やがて一人殺され二人殺され、そのうちに収拾のつかない乱戦状態になった。
全員が死ぬまで、40分もかからなかったそうよ」
「そんなことが……」
「知らないかなあ。その時の当事者のひとりが書いた『篭絡のサンディ城』といえば、結構有名なテキストだと思うがなあ」
「犯人が捕まった、って話はまだ聞かないから、みんな結構不安になってるらしいわよ」
「ふうん。でもどうしてそんなことしたんでしょう。プレイヤーの装備でも掠め取ってRMTに出したほうがよっぽど儲かると思いますけど」
「時代錯誤のハッカー坊やのやることは、俺には分からん。俺ならもっと上手くやる」
「何アブないこと言ってるんスか」
「けけけ」
「とにかくそんな経緯があったから、会社としても必死なんでしょう」
「とはいえユーザーが警戒しまくってるのは、この人数からすれば明らかだけどな」
「信用は一日にして成らず、ということですか」
そうなのか?
「というわけで、一般ぴーぽーであるあたしたちにも、十分一番乗りのチャンスがあるというわけよ。分かったか皆の衆。これは勝ち目のある戦いであるぞ!」
「みんなビビって参加しないからチャンスがあるってのも、何だか情けないッスけど」
「言わないお約束です」
「ンでは各人、村中のNPCに話しかけまくって、できるだけ多くの情報をゲットしてくるよーに。連絡は《ベル》で。じゃ、解散!」
そして俺たちは村へと散っていった。
入り口で愛想笑いを振りまく女性型NPCに声をかけると、「ようこそ旅の方、ここはロッカ村です」と明るい声で返された。ふうんいかにも田舎臭い名前だなとひとりごちると、愛想笑いで同じ事をもう一度繰り返した。それはさっき聞いたと思わずつぶやくと、ご丁寧にとどめにもう一回ロッカ村ですを繰り返された。これ以上やると終わらなさそうなので、俺は早々に退散した。
村は中世の農村をモチーフにしているらしかった。
入り口の看板あたりから村を窺うと、竜の背骨にも似た青い山脈を背景に、いくつかの煙突と背の高い物見櫓が見える。そこから緩い下り坂を進めば、段々と造りのしっかりした家屋が目立ち始め、逆に木々はまばらになる。何度も人が通り踏み固めたように見える一本の道の両脇に、農場や、背の低い生垣に囲まれた畑に牧草地がパッチワークのように入れ替わり立ち替わり並び、西側の川の森――曲がりくねった川と池がある――まで続く。東側のほうが土地が肥沃で、牧草地も青々としている。だが、東の森の農場は数えるほどしかなく、進むにつれてまばらになり、やがて消えてしまった。村人たちを恐れさせる何かが東にはある(という設定になっている)のかもしれない。
村の家並みに差し掛かると、自動追跡AIを搭載した子供たちと犬がじゃれている。やっぱりPCは見当たらないな――と思いつつ、俺はその子供たち二人に声をかけた。
「おーい、君たち、何か知らないか」
我ながら情けない第一声だとは思うが、この文句でたいていのNPCは反応し、なにがしかのセリフを言う。時々ある特定の単語にしか反応しなかったり、ある言葉を言うと特別なリアクションを示したりするNPCがいたりするから、必ずしもこの言葉だけでいいとは限らないのだが。
犬とじゃれていた子供たちは立ち止まり、滑らかな動きでこちらを見た。コンピューター処理により生み出されたとは思えないリアルさだ。
「こんにちは、旅人さん。あのね、分からないことがあれば、丘のてっぺんにある村長さんに聞けばいいよ」
そう男の子が言った。それを待ってから、
「あのね、村長さんは最近すごく困ってるの。なんでもなくしものをしたみたい」
と女の子が言った。
俺はそれを最後まで聞くと踵を返し、村の奥へ歩き出した。目を閉じ、眼球の動きでコマンドを立ち上げながら。
《ベル》が起動したのを確認して、俺はなにもない中空に話しかける。
「こちらユノーユ。村長の家でイベントをこなす必要があるらしい。丘の上の家だそうだ」
『早いッスねーユノーユさん』
耳の奥から多少ノイズの混じった声が返ってくる。
『こちらコウ。じゃ、ちょっと行ってみますね』
『こちらチハルー。道具屋にヒーリングポッドが置いてあったから購入したわよん。あと他にも少々買ったから、経費でよろしく』
「無駄遣いするなよ」
『分かってるわよっ』
俺は苦笑しながら、言い残していたことがあったことに気づく。「そうだ、イベントには『村長の落し物』を届ける必要があるかもしれない。村のどっかに転がってる可能性があるから、各人足元をよーく見ながら歩くように」
『やーねー、足元ばっかり見て歩くなんて。それに何も地面に落ちてるとは限らないじゃない。空から降ってくるかも』
「降るかっ」
『ひょっとして、どこかの盗賊に盗まれたんだったりして。ありそうな話じゃないッスか?』
俺は嫌な顔になっていただろう。
「お宝の情報と引き換えにその盗賊のアジトとやらに乗り込まなきゃならなくなるなーんてことがないように祈ろう」
『まったくだわ』
『相変わらずユノーユさん考え方がヒネてるッス』
「想像力豊かだと言ってくれ」
俺は《ベル》のコマンドを終了させた。
しばらく入ると、広場に出くわした。十字に交差した石畳の道のちょうど中心に煉瓦でできた円柱型の溜め池があって、波打たない透明な水を湛えている。その中心に噴水口らしい剣と盾の置物があったが、水が噴き出していないのはひとえに処理が重くなるからだろう。
俺はその噴水の縁に腰かけてあたりを見回してみた。このあたりがどうやら村の中心部らしい。立ち並ぶ家々はどれも幅の広い鎧戸を開け放ち、垣根と垣根の間に通したロープには真っ白い洗濯物が翻っている。藁葺き屋根の上では器用にバランスをとりながら野良猫がうたた寝をし、時おり過ぎる村人は農具を携えのんびりとしている。
これがツクリモノの現実だなんて、にわかには信じられない。
俺はしばらくそのままぼんやりしていたが、ふと自分が何をしにここに来たか思い出して慌てた。で、たまたま通りかかったNPCに話しかけてみた。
「すいませーん。伝説の剣、シルヴァンス、果ての古城、オニキスの塔、シルバーソーン、世界の秘密、あたりについて何か知りませんかぁ」
こんだけ言えばどれかは当たってるだろ。
振り返った農夫風の中年は人当たりのいい顔をしてこう言った。
「伝説の剣は竜が守護しておるそうな。竜は黄金の揺籃に守られておるそうな。黄金の揺籃は次元と次元の狭間にあるそうな。つまりは誰が剣を望もうとも、まったく無駄ということじゃじゃ、ふしゃ、ふしゃ、ふしゃ」
どうも最初の単語に反応したらしい。
で分かったことは、結局伝説の剣は伝説だということだけだ。俺は仲間に報告しようと《ベル》を立ち上げかけて、面倒くさいからやめた。
しかし、竜ときたか。
長年のカンで、だいたい流れは読める。おそらくその竜とやらを倒さないと伝説の剣は手に入らず、つまりは竜を倒せないとこのイベントは完結しないらしい。とすると問題は、果たして俺たちのレベルで竜が倒せるかどうか、だが……
情報が足りないな。
いったん接続を切ってから、ローカルのネットあたりに潜って情報を収集したほうがいいかもしれないが、ここでログアウトすると戻ってくるのはおそらく出発点の町だろう。またぞろあの荒野を横切って来るのは気が滅入る。
とりあえずチハルたちに連絡を取ってみた。が、向こうでも大した収穫はないらしい。聞けたのは最初の子供たちと大差ない内容か、古城に関する様々な憶測や噂ばっかりだったようだ。まぁ会社も結局大したオハナシは作れなかったわけよね――とチハルは笑った。
そうでもないかもしれませんよ、と言葉を遮ったのはコウだった。
『ひょっとしたらこのクエスト、相当にややこしいかもしれません』
『何がッスか?』
『今さっき村長さんの家、行ってみたんですよ。そしたら妙なことに……驚かないでくださいよ』
『何、もったいつけずに早く言いなさいよ』
コウはそこで一旦切り、言葉を選びながらこう言った。
『村長さん――いなかったんです』
つづく