シルバーソーンには3つの神器の伝説がある。
聞いた話である。
ひとつ、神が《形なき者》と戦うために造りだした電槍ブリューナグ。
ひとつ、城下がまるまる一つ入るほどの巨大兵器、終末の竜の名を冠した魔兵器サンクチュアリー。
ひとつ、位相差がそのまま凝り固まってできた、この世のものならぬ光剣シルヴァンス。
このうち、電槍ブリューナグは実装されていて、一般人でも手に取ることができる(ただし激レアアイテムで、ごくひと握りの猛者しか使うことはできないが)。魔兵器サンクチュアリーは去年の暮れのイベントでチラッと名前だけ出てきたことがあるが、今後その姿が拝めるのかどうかさえも、設定が設定だけにかなり怪しい。
そして光剣シルヴァンスは、どうも今回のイベントより以前、名前だけは何度かで回っていたらしい。とはいえ『最強の剣を探す剣士NPC』だとか、『伝説の武器について噂する旅商人NPC』だとかのセリフに混じっていただけで、本格的にその御姿が拝めそうなイベントはこれが始めてなんだそうだ。会社もとうとうネタが尽きてきたということか。
俺が冗談交じりにそう言うと、ホスト600突破記念ですからねえ、とその説明をしていたコウが継いだ。
「この村にいるNPCの話をまとめると、シルヴァンスのあるダンジョンに行くには何かの儀式が必要なようです。そしてその儀式は、ここから北東あたりにある祠で行う必要がある。たぶんその詳しい話が、ここの村長さんから聞けたんじゃないかと思うんですが……」
「でも、村長さんはいなかったわけよねえ」
「そうです」
「どう考えても不自然じゃないッスか。村長さんがいないならいないで、それらしいセリフが村人NPCに設定されてないと」
「村人が知らない間に村長さんがさらわれた……そういう設定なのかもしれないぜ」
「だとしたらその布石みたいなのがないと」
「考えられる可能性は3つです」と、コウ。「ひとつはさっきユノーユさんが言った、『村長さん失踪を村人が知らない』設定。これは村長さんが秘密裏に攫われただとか、実は村人全員グルだったとか、そういうオチが用意されてるハズです」
「ロッカ村殺人集団隠蔽事件か。ぞっとしないな」
「次は、『GMが村長NPCを置いてない』設定。イベント上なんらかの理由で進行速度を調整したいとか、そもそも急ぎごしらえのイベントなんでスイッチフラグがうまく立ってなかった、なんてのも考えられますよね」
「マヌケなGMだこと」
「そして、もうひとつは」コウは全員の顔をチラリと窺ってから、言った。「村長さんが別のPCによって殺されている可能性です」
「なに……?」
「このイベントは多人数参加型です。もし私たちよりも先に誰かがここに来ていたとして、後から来る私たちの妨害工作をしよう、と考えたとしてもおかしくありません」
「なるほど……剣は一本。ゼロサムゲームの常套は足の引っ張り合い、か」
「でも、そんなのGMが許すッスかね? イベントの進行を妨げる悪質PCには断固とした態度を、ってハズじゃ」
「そんな良心的なGMばかりじゃないさ」
「ホストが600もあれば、PCに悪戯して楽しもう、なんて悪質なGMも出てくるでしょー」
「そのセンも考えられますよね」
「冗談じゃないぞ。だとしたら、このイベント自体進行不能になっちまう」
「まあ、もしそうだとしたら潔く諦めるとして……困ったね。どうしよう?」
と、そのとき。
「探し物は、これですか?」
背後から若い男の声がした。
俺たち全員が振り返ると、戦装束に身を包んだ男が二人、立っていた。咄嗟にはNPCかな、と思ったが、その重装ぶりから察するに、
(エルフの暗殺者に、人間族の銃操士か)
エルフのほうは長い耳を残して黒いターバンで眦までを隠しているが、動きやすく闇に溶けるその外装に、職業専用武器であるサイレントダガーを二振り腰に携帯していることから暗殺者であるとすぐ知れる。銃操士のほうはもっと明白で、腰に差した二挺の拳銃と、背中に背負った銃身の長い散弾銃が目立ちまくっているからだ。
「PC……クエストのひとですか? さっきまでは見ませんでしたが……この村には、さっき?」
「これはクエストアイテムを記したメモです」エルフはコウの言葉を完全に無視して、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。「必要でしたら、どうぞ。あなたがたもお困りでしょう」
「おお、そりゃどうもご丁寧に。かたじけないッス」
グレイがぺこぺこしながらエルフに向き直り、紙切れを受け取ろうとしたその時。
メモが紅く発光した。
「!!」俺は考えるより早く叫んでいた。「受け取るな、グレイ!」
轟音!
感じるはずのない爆風が吹きすさぶほどの音と光。地面が揺れる。起爆符が爆発しやがったのだ。
爆風と煙を引き裂くように、エルフの暗殺者が音もなく飛び出してきた。
逆手に構えた短剣による顔面を狙った一撃を、後退して回避、続く右足からの鋭い蹴りを籠手で受ける。クリティカルゾーンには入らなかったらしく、こちらのダメージはほとんどない。
エルフは体操選手もかくやというほどの体捌きで右足を軸に回転し、体勢を建て直すと左右の剣を段違いに振り込んできた。どちらかの剣を避けようと身をよじれば必ず次の一撃が命を奪う、必殺の刃だ。
俺は顔の左側面にだけ装着した面頬を突き出して一撃目を耳で受け、二撃目が届くよりも早く右手の剣で暗殺者の左手を狙った。構わずエルフは刃を突き出し、奴の左手首と俺の顎筋が同時に貫かれる。
相打ち。
目を灼く黄金の火花を煙幕代わりに俺は暗殺者の肩を蹴って後退、距離をとる。
「なんだってんだお前ら!」
答えはなく、銃操士による銃声だけが途切れ途切れに答える。
「こいつらPKよ!」
銃声の合間に、甲高いチハルの声がした。
奴らPK(プレイヤー・キラー)は、他のプレイヤーを殺すことを生きがいにしている、かなり横道な連中だ。別に金銭的メリットも武士的な自己練磨精神もなく、ただ単に誰かを殺すのをこよなく楽しみにしているという、いわば仮想現実の快楽殺人者みたいな連中である。
「グレイ、お前は後衛の銃操士を狙え! 俺はチハルとコウを守る!」
俺の思考は即座に戦闘モードのそれに切り替わっていた。
奴らは前衛の暗殺者と後衛の銃操士の二人組み。数の上ではこちらが有利だが、さっきのエルフの動きから察しても油断はできない。それにこういう場合の戦略は、いかに頑丈な前衛の動きを封じ、主力ダメージ源たる後衛を早く叩き潰すか、ということにかかっている。もしこちらのチハルとコウが先にやられれば、回復役とメイン火力を失った俺たちはジリジリと追い詰められ殺されるしかないのだ。
だがそうなると疑問は残る。
なぜ最初の一撃、エルフは真っ先に俺を狙ったのか?
ようやく煙幕の晴れたフィールドで、俺はコウとチハルの元へと走った。暗殺者は飛び出したグレイを追おうと足を伸ばしかけたが、俺の気配を感じたのか体を返して襲い掛かってきた。
暗殺者が跳躍する。
その一撃を、俺は剣を横にして防いだ。エルフは着地して二撃目を繰り出すかと思いきや、跳躍の勢いそのままに後方にいるチハル達のほうへと駆ける。最初から目的はそちらだったようだ。
「行かせるかよ!」
俺は叫びながら懐のアイテム《マッド・ボム》を取り出し、奴へと投擲した。ダーツ型の爆弾は過たずエルフの肩甲骨あたりに突き刺さり、音もなく爆発する。タイミングをずらされたエルフがたたらを踏んだ。
もしやと思ったが、やはりか。
暗殺者である奴は特殊技能スキル《サイレント・キリング》を習得してやがった。このスキルを持ったキャラクターは自分の周囲に起こるエフェクトは一切静音で処理され、まったく音を漏らさない。奇襲を得意とする暗殺者の、不可視化スキル《インビジブル》と並んで重宝される、最高ランクのパッシブスキルのひとつだ。この両者のコンボは対人戦で反則的な威力を発揮する、らしい。
厄介な奴が相手になったもんだぜ!
相手が体勢を立て直すよりも早く俺は剣を下段に構えなおし、地面を擦るように斬撃を放つ。エルフは足の裏でそれを受けると勢いに合わせ跳躍、空中で逆しまに投剣をチハルとコウに放つのを、持ち手で旋回させた俺の剣が叩き落す。
その瞬間に詠唱を完了したチハルが両手を掲げ、中級魔法《エアスクライド》を放った。空中に発生した無数の空気の刃が竜巻となり、回避不能な空中にいる暗殺者の全身を切り刻んでいく――と思いきや、空中の敵は刃に全身を切り裂かれながら半透明になり、ダメージエフェクトを残したまま消滅した。そして跳躍地点と変わらぬ場所に、無傷の暗殺者がやはり音もなく着地する。
上級アクティブスキル《身代わり分身》か!
最前のサイレントキリングと並んで高レベルな特殊スキルだが、こちらは前者と違ってプレイヤーたちには敬遠されがちなため比較的無名である。というのも、身代わり分身は発動のタイミングが難しく、攻撃が自分に着弾する寸前の一瞬に技を発露させなければならないので、習得が難しい。かなりの練達でなければここまで鮮やかなデコイは発せられない。
暗殺者の顔が上がり、俺と目が合う。奴は上目遣いに俺を見、真っ赤な舌を覗かせて、ニヤリと笑った。
背筋が戦慄した。
起き上がった奴は俺の動きをまず封じる作戦に変更したらしく、両手の剣で刺突を放ってきた。体をひねってかすり傷でそれをかわすも、それを囮にした足払いが踝にヒットし、俺はバランスを崩す。完全な攻撃型前衛職の暗殺者に比べて、詠唱系のスキルも持つ錬金術師では力負けするのは必至。肉弾戦に勝機は薄い。首筋を狙ってくる斬撃を、俺は倒れながら両手の手甲でどうにか受け止める。
俺が追撃できなくなったのを確認して、アサッシンが飛びずさる。後衛を狙う好機と見たようだ。
甘い!
俺は懐の携帯型培養機を引き抜き、詠唱を始める。なにかを察したらしい後方の銃操士が発砲し近くの地面に着弾するが、グレイが盾となってくれているおかげでこちらまでは届かない。俺は培養機の蓋を叩き割りながら叫んだ。
「人工生命体レベル2、ファングマウス!」
培養機が割れ、中から人の胴ほどの太さの鼠が姿を現す。真っ白い体毛に紅い球眼が目立つ、人工モンスターだ。
錬金術師のスキルによって誕生した使い魔は、人間では不可能な速度で疾走、自動追尾で敵と認識した暗殺者の右足に喰らいついた!
焦ったエルフは足元の鼠を叩き落そうと刃を振るうが、ちょこまかと素早い動きに加え下手をすると自分にダメージがあるために狙いが定まらない。その間にもAI操作のファングマウスはその足首に齧りつき、長い齧歯からステータス異常を引き起こす毒を注入し続ける。
今だッ!
俺が起き上がり目で合図すると同時に、コウの援助魔法によって詠唱速度と魔法威力を上昇させたチハルが中級魔法《ライトニングローダー》を起動。球状の電光が走り、いっさいの回避スキルを封じられた暗殺者に直撃する!
黒煙を吹き上げながら痙攣する暗殺者に、俺は横薙ぎに寝かせた刃を滑り込ませた。
エルフの首が寸断される感触は、間違いなく特大ホームランのそれだった。
*
「銃操士は?」
コウに治癒魔法を唱えてもらいながら俺が聞くと、グレイがすまなさそうに首を横に振った。
「逃げられたッス。すまねッス」
「そうか……まあいいや」
聞けばグレイは、俺たちが戦っている間じゅう銃使いと接近戦で動きを封じていたという。最初の爆撃でかなり深いダメージを負っていたはずなのに、大したヤツだ。
俺がそう言うと、グレイは照れくさそうに頭を掻いた。
「コウさんのおかげッス。オレが戦ってる間じゅう、回復魔法と防御力上昇魔法を何重にもかけてくれてたッス」
「ほほう」
このパーティーもずいぶんとチームプレイが上達してきたもんだ。
「オレなんて大したことないッス。それよりユノーユさんの体術こそ大したもんッス。見てて惚れ惚れしたッス!」
「うむ。苦しゅうないぞ。もっと褒めろ」
「チョーシに乗るなっ」
チハルに後ろからはたかれた。
「痛っ! ァにすンだがやこの暴力エルフ」
「グレーイ、こんな錬金術師の卵なんて大したことないわよん。あたしのほうがよおっぽど強いわ。なんなら試す?」
「い、いや、遠慮するッス」
「全くユノーユさんの剣捌きは格別でしたよねえ」鑑定士の口調でひとりうんうん頷くコウ。「ひょっとして剣士の経験あります?」
「……ああ。ちょっとね」
剣舞のヴァイザー。血塗られた英雄。
俺は頭を振って思考を外に追いやる。
「まあ、昔の話さ」
「ふーん、初耳」
チハルがまた後頭部を狙っていたので、俺は素早く立ち位置を変えた。
「だが、さっきのは真剣にヤバかった。運がよかったな」
「何だったんだろうねぇあいつらは」
「かなりの手慣れでしたね」
「さあね。どうせロクな奴らじゃないだろうさ」
このゲームに限らず仮想現実の世界では、必ずいくらかの割合でああいう奴らが存在する。現実世界では重い禁忌である『理由なき殺人』を、まるでゲームの趣向のひとつであるかのように鼻歌混じりにこなしてみせる連中だ。目的も意義もなく、ただそこにある者をひょいとつまむような気軽さで、見も知らない他人を、殺す。殺されるほうには理由も心当たりもない場合がほとんどで、たいていはそういうハンターたちの目にたまたま止まった哀れな初心者であることが多い。
ただ、ならばPKたちは完全な悪人かというと、そうとは言い切れないのではないかと、俺は思っている。彼らは『殺す』とはいっても完全に存在を抹消するわけではない。殺されたPCは蘇生魔法を唱えるか、キャラクターのレベルを下げるリスクを負えばすぐに復活できる。つまり、すぐに生き返れる。だからそもそも現実世界とは『死ぬ』意味が異なるのであり、それゆえ『殺人』の意味も変わってくるのである。それこそが仮想現実の最も危険な点だと指摘する奴もいるが、俺はそうは思わない。
ただ価値観が違うだけだ。
彼らはPKを、ゲームの延長線上としてのイベントとして捉えているフシがある。実際にちゃんとPKにはリスクもあり(常に賞金稼ぎたちに命を狙われるようになる)、それはゲーム上の共通認識にもなっている。第一PKを完全撤廃したいならプレイヤーへの当たり判定を無くせばいいだけで、それをしないということは開発者側が、すでにPKをゲームの一部として認めているということを暗に示している。
だから、彼らと一般のプレイヤーとで違うことといえば『見も知らない他人を殺して、胸が痛むかどうか』――そこしかないのではないだろうか。要は価値観の違いなのである。
かといって、だから奴らを許す気になれるかどうかと問われれば、それはまた別の問題だが。
「さて……これからどうするよ?」
「そうねぇ。村長を殺したのが奴らだとしたら、これ以上イベントの進めようがないわねぇ。あの銃操士でも追う?」
「大丈夫、クエストは続けられます」
コウが珍しく自信たっぷりに言った。
「おっと、コウ先生なにか発見しましたかい?」
「それがですね、ちょっと怪しかったのであの暗殺者の外装を探したら、こんなもの見つけたんですよ」
コウがひらりと目の前にかざしてみせたのは、一枚の羊皮紙。なにか書き込まれてある。
「ばっ、爆弾!?」
「違いますよっ」コウが拗ねたような口調で言った。「リストです。アイテムリスト。《若木の枝×2》、《ルートワームの牙×1》、《忘却の予言の書×1》、それから《ブルーハーブ×12》。多分これを持って北東の祠に行くんじゃないでしょうか」
俺たちはコウの差し出した紙を順繰りに見、互いに互いの目を見、それから自慢げに笑っているコウを見て、言った。
「でかしたコウ先生!」
*
若木の枝とルートワームの牙は周辺モンスターから入手できた。ブルーハーブは幸いその村で売っていたので購入。忘却の予言の書は決して安くないレアアイテムだったのだが、たまたまチハルが持っていた。4冊はさすがに用意できなかったため多少の不安は残るが、人数分集めなくてもいいことを祈るのみだ。
「後でずぇったい経費で落とさせるからね」
忘却の予言の書をしぶしぶ渡しながら、負け惜しみのようにチハルは言った。
そして俺たちは祠へと向かった。
道行きは決して楽なものではなかった。見たこともない新種のモンスターが少なからずいるうえ、上級プレイヤーでも苦戦するような高レベルモンスターがこれでもかというほど出現するのだ。5匹、6匹は当たり前で、時には退却を余儀なくされることもままあった。
しかしここまで来ておめおめと負けるような俺たちではない。あれだけさんざん苦労を重ねて挙句ザコ敵に負けたんでは面目がつかないこともあったし、紆余曲折を経るこの奇妙なクエストに誰もが興味を抱きつつあった。もちろん、最終的なエサである伝説の剣にも大きな興味があったことには違いないのだが。
途中、ひょっとしたらさっきの銃操士が遠距離狙撃を狙ってくるかとも思ったが、幸い道は背の低い下草が生い茂るだけの平坦なフィールド、木々もまばらにしかなく隠れる場所には事欠くためそれほど緊張もなかった。
そして、傷だらけになりながらもなんとかかんとか目的地へと辿りついた俺たちであったが。
「……こりゃ、何だ?」
「祠……ですよね、これ……」
そこにあったのは、雨よけの屋根が申し訳程度にかけられた、実に貧相な祠だった。
祠というより穴である。
「いや、何かの間違いじゃないのか? わざわざ村まで作ったのに比べると、この手抜きな入り口はなんとも……」
まるで風に吹かれ持ち主に忘れられた帽子のように、それは草原にポツンと、実に唐突に建っていた。石畳により一段高くなった、半畳にも満たないような狭い四角いスペースの真ん中に、虫が食ったように崩れた穴がぽっかりと口をあけている。これで囲い壁でもあったら、井戸と勘違いするところだ。
「コウ、場所は?」
「そうですね……マップ起動してみます。えぇっと」コウは目を閉じてなにやらしきりにブツブツ呟いていたが、やがてため息をついて言った。「ダメです。やっぱりここ以外にそれらしい建造物はありません。座標データからしても、ココが目的の場所としか」
「あたしたちはオニキスの塔を探してるんだけどなぁ」
「ま、いいじゃないッスか。入ってみりゃ分かるッスよ!」グレイがわざと明るい声で言った。「外見だけじゃ判断つかないもんスから。ひょっとして、抜け道か何かなのかもしれないじゃないッスか」
「そうだけどぉ」
「よし、じゃ、行ってみよう」俺は腰のカッサンドラを抜きながら、言った。「俺が先頭で入る。グレイはしんがりを務めてくれ。なにかあったら、大声で連絡する」
どの顔も神妙に頷いた。
「よし……行くぞ」
暗い穴を覗くと、どうやら梯子がかかっているらしい。どこまで降りるかどうかまでは見えないが、ひょっとしたらこれは多重構造のダンジョンになっているんじゃないだろうか。俺は後ろ足に四つん這いになると、おそるおそる梯子の最上段に足をかけた。ギシリ、と不安な音がした。
設定上かなり深くまで潜るのを覚悟していたが、思ったよりずっと早くそれは訪れた。しばらく目の前を通り過ぎる錆びた鉄パイプを見送っていると、やがて薄明かりにぼんやり地面が見え始めた。ある程度のところまで降りてから、俺は目測をつけてひょいと飛び降りた。地面は乾いた土であるらしい。
「何かあったー?」
「いや、暗くて今のところ何も……」
俺は視覚設定を『明』にして、あたりを窺った。ある程度広い空間のようだが、特にこれといって目立ったものはない。ただ一面に黒い地面と、凹凸の激しい壁と、雨でも染み込みそうなひび割れの入った天井があるばかりだ。隅のほうは暗闇に閉ざされてよくは見えないが、どうも通路らしきものはないんじゃないだろうか。
「うわっ、湿っぽいわね」
そう言ってチハルが降りてきた。とはいえ実際に湿度を肌で感じているハズはないけど。
「広いですねえ。ここに剣が?」
コウも降りた。少し楽しそうだ。
「うー、っくらせ、っと。いやー着いた着いた」
と言いながらグレイが飛び降りた、そのとき。
ゴウッ!
グレイの爪先が地面に触れたちょうどその瞬間、洞窟がカッと真っ白に染まり壁じゅう照らし出された。いや、洞窟自体が発光したのだ!
俺は咄嗟のことに、反射的にに剣を掴もうとしたが、それはできなかった。俺は驚いて下を見た。手がなかったのだ。そんなバカな、そう思ったときには廻した首ももう掻き消えていた。足が消えた。腕が消えた。胴が消えた。頭が消えた。
「チハル――!」
それも言葉にはならなかった。音はなにもない中空を漂い、やはり掻き消えた。
俺は肉体を失い、真っ白な闇だけが残された。
Now Loading……
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*
――ここには何もない。
――ここには死がなく、
――ここには褒賞がなく、
――ここには痛みがなく、
――それゆえ絆もない。
――ここでは私は内側と外側から侵食され
――限りなく薄っぺらな外殻に近づいていく。
――言葉は形骸化し、
――言葉のみが全てとなる。
――本能の部分は包み隠され、
――本能の部分のみが剥きだしになる。
――ここは理想郷。
――痛みも、苦痛も、何もない理想郷。
――私は薄まり、顔のない群集にまぎれて価値をなくしていく。
――だから、ここは、
――ひどく安心するのだ。
――ここで最も無意味なものは
――力を手中にする行為。
――ここで最も無益な言葉は、
――『あなたを、愛している』――
*
気がつけば、景色は一変していた。
そこはもう地下ではない。ぶ厚い暗雲が低く垂れ込め、時おり針のような稲光を走らせている。地面は雑草一つ根付かぬ不毛の大地。遠くには鮫の歯のように切り立った黒い山脈が屏風のように立ち並び、灰色の空をスパリと切り取る。ここそこには巨人の拳のような褐色の岩石がごろごろと転がり、あるいは風雨にさらされ砕けている。
フィールド転移をしたのだと、気づくまでにしばらくかかった。
俺の傍には、それぞれ呆けたような顔で立ち尽くしている仲間たちがいた。みんな一様に顔を上げ、空の一点を注視している。俺は前に向き直り、それを見上げた。
地の果てまでも広がるような平坦で無造作な荒野に、それはただ一点異を唱えていた。
どっしりと構えた地階は苔むした飴色、石切り場からそのまま直接切り出したとしか思えない一枚岩でできている。縦に並ぶ防壁はいくつもの剣や魔法の跡に傷つきあるいは崩れ、気息奄々たる内部を曝け出している。入り口に扉はない。身長の倍あたりの高さに横一列に並んだ四角い穴は、矢を射るための狭間か。
要塞めいた建造物は3階あたりで途切れ(もしそれが3階建てなら住人は巨人としか考えられないが)、その上に3本の尖塔が立ち並んでいる。下半分の途中までが砦、途中からが塔になっているのだ。
両側の塔はさほど高くなく、先細りになって途切れている。見るとどちらもボロボロになった旗らしきものを掲げている。だが、最も一様に目を引くのは、中心の塔だ。
無数の蔓草を絡ませ、天を衝く塑像と化しているオニキスの塔は、まるで昇竜のような威圧感を持ったまま天空へと消えている。それはまるであたり一帯を睥睨し荒野に目を光らせる神の一族といった佇まいで、見上げても天上の知れない俺たちの卑小さをまざまざと見せつけている。
「《果ての古城》と……《オニキスの塔》」
誰ともなくそう呟いた。
次元の狭間、黄金の揺籃……
俺たちは、ついにラストダンジョンへと辿りついた。
「ついに――来たわね」同じことを考えていたのか、チハルがひとりごちた。
「そうッスねぇ。でも、どうして急に――?」
祠でのアレか。
「たぶんイベントアイテムがフラグ条件になってたんじゃないでしょうか」と、コウ。「確か忘却の予言の書をはじめとするイベントアイテムはぜんぶグレイさんが持ってたはずですし。アイテム条件が揃うことによって、転送システムが起動した、と……そうとしか考えられません」
「運がよかったわねえ」
そうだ。もしあそこに降りる順番が違ったら、グレイひとりがここに飛んじまっててもおかしくなかったのだから。全く笑えない冗談ではあるが。
「なんにしても、ここから先は死ぬことは許されない。フンドシしめてかかンぜ皆の衆ァ!」
「おう!」
そう意気込んだものはいいものの――俺たちは最初でいきなり難関にぶつかることになった。
迷ったのである。
まず入り口から二股に分かれた道を右へ、ところどころ崩れた瓦礫をあるものは乗り越えながら、あるものは回り道をしながら進むと小部屋に出た。正面と左右にある道を迷わず正面へ行って――そこから細い一本道を抜けると細いスロープに下り階段、それに大きな門扉があった。ここでモンスターに遭遇、流されるように門扉の向こうに駆け抜け、相談の結果そのまま進むとやがて分かれ道。それを右に進むと――最初の小部屋に戻ったのである。
口論になった。
まだ進んでいない別の道を進もうと主張する俺とコウ、それから一旦入り口まで戻って地図を描きながら進もうと主張するチハルとグレイで、真っ二つに意見が分かれたのだ。
左手に壁をついて進む迷路踏破の常套をチハルが主張したが、それは一階構成のダンジョンにのみ有効なのであって、今回みたいに上に上る階段を探す楼閣迷路では通用しない、と俺が撥ね付けた。チハルは悔しそうだった。
結局、先頭である俺が道を決めるのが妥当ということでおおむね一致し、そのまま進むことになったのだが。
ようやく上階への階段を発見し、そこに陣取る守護者を屠って二階に上ろうとしたその時になって、俺は異常に気がついた。
フィールドデータが表示されない。
通常は眼球の挙動を認識したプログラム側が瞼の裏にデータを表示させるはずなのだが……いや、表示はされた。命令は実行されたが。
なにも出てこないのだ。
そのことを皆に話すと、それぞれが怪訝な顔をした。
「確かに、おかしいわね……」
「だろう?」
「よくあるメンテナンスの不具合じゃないッスか?」
「それにしたってサーバーデータが表示されないのはおかしいだろう。管理サーバーのアクティブ反応までない」
「じゃあ、どうして……」
「迷路を面白くするため、なんて理由じゃないのは確かだな。時限の狭間にあるダンジョンだから、なんてのも却下だ。となると」
考えたくはない。考えたくはないが。
「誰かが……意図的に……?」
「まさか」
「いえ、ありえない話じゃないわ。むしろ一番可能性が高い」チハルが険しい顔で断言した。「さっきから魔法を使うたびにこのあたりがチリチリするの。後ろで何かのプログラムが動いてるとしか考えられない」
「何かのクラッキングツールが?」
「何のために? ――いや、動機はいくらでも考えられるな。キャラクターデータのコピー、パスワード解析、『覗き屋』のお仕事ってのまで色々と」
「でも、それなら、どうやったんでしょう? そんなことしたら間違いなくディースのGMが飛んできますよ。ましてや今はイベント中だし。見つからないほうがどうかしてます」
「確かに、そうだよな。違法ツールだったら今ごろ大騒ぎだろうし」
「やっぱり緊急メンテナンスに伴う一時的なオーバーフローじゃないッスか? ほら、イベントで人も増えてるだろうから」
それも考えられる。ごく普通に考えるなら、それが最も妥当な回答だろう。
だが。いや、しかし。
まさか……
「一つだけ可能性がある」
俺が言うと、皆がこちらに振り返った。
「この状況下、違法プログラムを動かしてもバレない人間。且つこれだけ大規模なプログラムを、事前に準備しておける人間。それは」
そこで俺は逡巡した。言えば、この旅は終わるかもしれない。
「GMだよ」
その声は迷宮の壁に幾度も反響した。
一瞬沈黙が落ちた。
「……まさか」
「可能性はいちばん高い。GMなら管理を会社側から一任されてるわけだから、どんな細工もできる。それにこのイベント日時や詳しい内容も事前に聞いていたはずだから、プログラムを調達する時間は十分にあったハズだ」
「でも、だとしたら……どうすればいいの?」
「どうしようもないな。相手がタチの悪いハッカーならまだ望みはあったんだが、GMが相手じゃどうしようもない。なにせ奴らがボタンをひとつ押しただけで、俺たちは全員ここで絶命する」
「じゃ、どうするんスか!」
「その時はしょうがないよ。運が悪かったと諦めるしかない」
「そんな! それじゃ罠の口が閉じるのをただ見てるネズミじゃない! なんとか対抗する手を考えないと……そうだわ! こちらから先にログアウトすれば、少なくともデータを読み取られる危険はもうないんじゃ」
「危険です」コウが目を伏せて首を横に振った。「この状態です。無理にログアウトしようとすれば、強制的に接続が切れてキャラクターを失うことにもなりかねない。同じ理由で、ワザと死んで街に帰るというのもリスクが大きすぎます」
「じゃ……」
「死んだら終わり。二度と復活できない……リアルだねー」
「喜んでる場合じゃないわよユノーユ!」
「まあまあ。今大事なのは、この茶番を仕組んだ奴の目的は何か、ってことさ。あと一体後ろで走ってるプログラムの正体は何か、それに」
犯人は今この城のどこにいるのか。
「それに?」
「いや、何でもない」
俺の中には確信に近いものが芽生えつつあった。
使途不明なハッキングプログラム、あまりにも不自然なイベントの進行。少なすぎる接続人数と謎のPK二人組。その意味。
いずれにしろ、最終目的地ですべて明らかになるだろう。次元の狭間、光剣シルヴァンスの前で。
「行こう、みんな」自分に言い聞かせるように、俺はつとめて明るく呼びかけた。「旅はもうすぐ終わりだ。どうせなら、最後まで楽しもうぜ!」
*
砦状の3階を急ぎ足で踏破し、三本の尖塔のうち全員一致で中央の高塔に歩を進めた。その頃になるとザコ敵とはいえ油断できないほど高レベルな奴らが次から次へと現れたが、度重なる戦闘で成長し、互いのチームワークがすっかり完成しつつある俺たちにとって、各階の守護者さえも一人の犠牲者もなく倒すことができた。
連戦につぐ連戦といっても、回復アイテムは(チハルが無駄に買い込んだおかげで)ふんだんにあったし、そもそもこの世界では実際に走ったり剣を振り回したり、物理的な運動をしているわけではないのだから肉体的な疲労とは無縁だ。俺たちは道を阻む敵をなかばかき分けるように次々と屠った。
そしてオニキスの塔12階、次の階層へと向かう俺たちの耳に、聞きなれた、しかしどこか馴染まない音が飛び込んできた。
轟音。閃光。なにかが金属にぶつかり跳ね返る甲高い音と、低い叫び声。
誰かが、戦っている……?
無言で目を見合わせ、俺たちは走り出した。もし別のPCが戦っているのだとしたら、謎を解く大きなヒントになるかもしれない。
大急ぎで角を曲がり、通路を走り抜ける。幸い塔の階層に来てからは迷宮はさほど複雑ではなく、音のするほうに駆けつけると、ほどなくそこに辿りついた。
壁に誰か倒れている。両足を投げ出し、石壁を背中にして凭れ掛かっている。
近寄るまでもなく、あの銃操士であることが分かった。
「あいつは……」
俺はそいつに駆け寄り、様子を見た。どう見ても生きているようには見えない。
「死んでるの?」
背後からチハルが訊ねてくる。
「……そうみたいだ」
だが、戦闘音は止んでいない。むしろさっきより一段と激しさを増しているようだ。俺は振り返り、通路のさらに奥へと駆け出していく。
角を曲がった先で戦っていたのは、強化合成獣と、一人のPCだった。
顔は獅子、胴体が蜥蜴で大蛇の尻尾を持ち、蝙蝠の羽を持つキマイラに相対するのは、その半分にも満たない身長の人間――人間のほうは両手持ちの長弓を構え、銀の矢を番えているところを見ると射手らしいが、かなり押されているようだ。
キマイラがその丸太のような前肢を横薙ぎに繰り出すと、射手の男は前のめりに飛び出すことによって逆に直撃を避ける。そのまま頭上に向けて矢を二連続で射るが、キマイラの厚い鱗に阻まれてどちらも澄んだ音を立てるばかりだ。
キマイラをはじめとする魔獣系は、物理攻撃に対する耐性がかなり強い。剣や槍、あるいは槌といった物理的ダメージはほとんどその頑強な鱗の前に阻まれてしまうのだ。要するに刃が通らないのである。そのため魔法使いがパーティーに必須の役職となってくるわけなのだが。
射手は身体を捻り、矢を5,6本まとめて掴むと、キマイラの顔面めがけて次々に射掛けた。その動きは淀みなく、全職業のなかでもトップクラスの扱いにくさを誇るアーチャーとは思えない俊敏さだが、どうも走る動きが怪しい。右足を庇うように走っている。ひょっとしたら負傷しているのではないだろうか……?
考えるより早く、俺は加勢に飛び出していた。背後からチハルの「ちょっと、なに他人の獲物に手ぇ出してんのよ!」という叫び声が聞こえたが無視する。明らかに多勢に無勢だ。
俺は懐から携帯用培養機を掴みだすと、詠唱を開始する。こちらの動きに気づいたキマイラが黒い翼を羽ばたかせ向き直ろうとするが、すかさず射手が翼の根元に銀の鏃を持つ矢を射掛け、その動きを封じる。俺は手中の壜の蓋を叩き割ると、頭上に掲げてキーワードとなる言葉を叫んだ。
「人工生命体レベル4、ナヴァム=ハリ!!」
放り投げた壜は石床で割れ、そこから一本の『枝』が発生する。若芽はメキメキと音を立てながら急速成長、黒褐色の根を無数に這わせながら縒り合わさり巨大化していく。
石畳が持ち上がり、床が蠕動音をあげるなか、人の腕ほどもある黒い枝は部屋を這うように成長し、互いに絡まりあいながら次々と節くれだった幹を形成していく。枝葉を持たない黒大樹はやがて天井につかえそうなほどに成長し、やがて隆々とした両肩、両腕を生む。蔦が互いに縒り合わさり五指を為し、樹木製の筋繊維が軋みを上げる頃には、そいつは成長した姿を現していた。
錬金術師の特殊技能スキル人工生命体研究により誕生した、樹巌礫巨人。エネルギー保存則を完全に無視したその姿は樹木製の巨躯を持ち、胴体の上半身と両腕のみという異様な姿をしている。足もなければ、顔もない。技能はただあらゆる魔物を圧するその膂力のみという、かなりインパクトの強い人工モンスターだ。
突然の強敵出現にキマイラのAIが反応、先制攻撃をかけようと急旋回し跳躍するが、巨人は両腕を交差させてその口腔による一撃を防禦。肘を支点に振り払う強烈なスイングで、逆にキマイラを石壁に叩きつける! 石礫を撒き散らしながら瓦礫に没したキマイラが忌々しげに唸り声を上げ、獅子の鬣を逆立たせる。
「すまない、助かる!」
射手が遠くから叫ぶ。
「話は後だ! まずは奴を倒すぞ!」
俺は言いながら佩剣を抜き放ち、怒声を上げながら敵へと突撃する。
樹巌礫巨人は威力こそ高いものの、存在持続時間が短い。短期決戦で勝負をつけないと、スタミナの切れたこちらが逆に不利になる。
「おおおオ!」
俺は樹木の根を踏み越えながら跳躍、瓦礫の山から身を起こしたキマイラの右目に、上段からの刺突を叩き込む。モンスターのAIがそれに電光の速度で反応、顔を大きくそらすことによってクリティカルヒットを避ける。本筋を外した刃は敵の顎を切り裂き、青白い火花を散らせた。
射手が後方から超精密射撃でキマイラの四肢を射抜き、再び跳躍しようとしていた敵の動作を牽制。だが、瞬速の嚆矢に体制を崩しながらも、キマイラはその赤黒い口腔を開き、エネルギー輻射そのものである熱光線を吐き出した。
俺は咄嗟に後方に飛びずさりながら、巨人に命令を発動。命令を受けた巨躯が大きく歪曲し、俺の前にその巨大な両腕で即席の壁を造りだした。
轟音と、樹皮の焼け焦げる音が続く。
俺はその隙に後方に転じて敵のスプラッシュダメージを回避。巨人は肘から先をほとんど消失させながらもキマイラの吐息を無効化、残った体で肩当てを放つ。
キマイラは軽敏な動きでそれを避け、逆に巨人を足がかりにして次々と跳躍、後方に転じていた俺と射手を直接狙ってくる。
マズいッ!
体制を崩していた俺は両手の肘から先を胸の前で合わせ、急所を庇う防御姿勢を咄嗟にとったが。
キマイラの動きは空中で停止していた。
刹那には何が起こったか理解できず、目をしばたたかせると、永遠のような沈黙の後にキマイラは反吐を吐くような苦痛の声をあげ、跳躍した姿勢のまま横向きに吹き飛んだ。まるで見えない巨大な手に張り倒されたように。
キマイラの急所、跳躍して無防備になった腹に、巨大な両刃の戦斧が突き立っている。持ち柄には両手を握り脇を固めたハイランダーの巨躯があり、肩を怒らせて戦斧をさらに食い込ませようとしている。
「グレイ!」
「あたしたちを忘れてもらっちゃ困るわよっ!」
エルフの魔導士が上級魔法《フレイム・ボア》を発動。両腕から放たれた二対の炎の蛇たちが颶風の速度で飛来し、錐揉み状に殺到したその紅蓮の胴体でキマイラを拘束、ダメージを与えながら締め上げる!
人間たちの見事な連撃を受けて、キマイラは身の毛もよだつ断末魔を喉から搾り出す。足掻くように背中の翼を数度はばたかせ、やがて絶えるように地面に崩れ、倒れ伏した。
魔獣が石礫の山に埋没する最後の轟音が、オニキスの塔にこだまする。
須臾の間、迷宮に沈黙が落ちた。
「……いや、素晴らしい。助かりました」
弩を背中に負いなおした射手の男が、右足を引きずりながら近づいてきた。
「さすが姐さん。やっぱりキマイラは蒲焼きに限るッスねー」
瓦礫から身を起こしながら、グレイがよく分からないことを言った。
「聞きたいことはいろいろあるが……とりあえずコウ、回復を」
「はい」
コウが魔法を唱えると、全員の傷が瞬く間に癒えた。俺が横目でチラリと見ると、ちょうど使役された樹巌礫巨人が、もとの土へと還るところだった。
「すいません、こんなにお世話になってしまって。なんとお礼を言ったらよい……か……」
射手は不器用に語尾を萎ませた。視線は俺のほうを向いている。俺がまだ剣を仕舞っていないことに気づいたのだろう。
「……どう、しました?」
「悪いが、あんたを頭から信用するわけにはいかないんだ。そうだな……まず説明してもらおうか。こちらも知りたいことがいろいろとあるんでね」
「ユノーユさん?」
「少し任せてくれないか」俺は背中の仲間たちに言うと、目の前でおどおどしている射手に目を向けた。目深に被った羽根帽子、動きやすい革鎧に右手には指貫。どう見てもアーチャーにしか見えないが。
「まず……どうやってここに来た?」
「どうやってって、そりゃあアナタ」射手はその場を繕う笑顔を浮かべた。「クエストをこなして、ですよ。じゃなきゃこんなとこに居ないでしょう?」
「ふうん。じゃあそっちで倒れてる銃操士の男もあんたの仲間か?」
――だとすれば。
俺は剣を握る拳に力を込めた。
「いえいえ、違いますよ。奴は単なるPKでして。ここを進んでいると、いきなり背後から襲い掛かってきたんです」
「ふうん、奇襲か。それで反撃して倒した、と――」
「ええ、そうですそうです。向こうは物陰からのスナイパーショットで仕留めるつもりだったんでしょうけど、生憎こちらも遠距離職でして、撃ち合いには慣れてたんです。正確に言えば倒したのはキマイラですけどね」
「ふぅん?」
「我々が争っているところに、突然湧いてきたんです。あっという間に銃使いはやられて、それで私も。狙撃で足にダメージがあったものですから、さすがに勝てないとは思いましたけど。いやあ助かった」
「それはよかった……と言いたいところなんだが、もうひとつ」
「はい? 何でしょう」
「あんた後衛職だろう? 技能が多彩で技の威力も強いが、打たれ強さはあまりない。さっきの戦いも見せてもらったが、とても一人でここまで来られるとは思えない。他に、仲間がいたのか?」
「それは――そうです。もちろんですよ。ここに来るまでに死んでしまいまして。残ったのは私一人ってワケです」
「ここというのは……この塔?」
「ええ。地上3階分は入り組んだ迷路になってたでしょう? あそこで運悪くはぐれまして。どうにか見つけた時にはもう――結局生き残ったのは私だけ、ということに」
「嘘だ」
俺は断言した。
「……はい?」
「俺たち、このクエストを始めてすぐに人数を確認したんだよ。サーバーデータを読み出してね。答えは7人。俺たちを除けばあと3人がクエストを進行している、ということだった」
「そ、それが何か?」
「勘定があわないんだよ。残り3人のうち、2人は途中の村で会った。そのうちひとりはあっちで転がってる銃操士だったけどな――つまり残り一人。あんたはここに、単独で来たとしか思えないんだ。仲間がいるハズないんだよ」
「それは――その――」
射手は答えに窮しているようだった。
「俺たちは正規のイベントルートを辿ったわけじゃないから何ともいえないが、あんたが俺たちが人数チェックした後にここに入り、さらに俺たちより先にここに着いた……その可能性も考えられなくはない。だが、やはり現実味が薄い。そん速さでここまで来れるようには見えない」
「……何が言いたいんです?」
「別に、何も。ただあんたが嘘をついてるようだったから、どういうことかなと質しただけさ。深い勘繰りなんかはないよ。これは本当だ」
射手は沈黙した。
さあ、言え。なにか手がかりになるようなことを。
「――いやぁすいません。やっぱり慣れない嘘はつくもんじゃないなあ」
射手は頭を掻きながらアハハと笑った。
「というと?」
「ええ。確かに途中まで私はソロでした。それはその通りです。こう見えて私、弓の腕前と逃げ足だけはちょっとばかり自信がありましてね。道中の敵なんかはそれほど苦労しなかった。ですがまあ、何です、この城に来たとたん……敵のレベルがガラッと変わったでしょう?」
「確かにそうね。ムチャクチャ強敵ばっかりだったわ」
横からチハルが口を挟んだ。
「それで、進退窮まっていたところに、あっちで倒れている銃操士と出会ったんです。お互いの利害が一致しましたから、とりあえずは共闘しよう、ということになりまして……」
「じゃあ、いきなり襲い掛かってきたというのは?」
「嘘です。確かに向こうから仕掛けてきたには違いありませんが、この階層までは一緒にパーティーを組んでいたんですよ。それが、突然。何が気に入らなかったのかは知りませんが――いや、そういえば彼、PKだったんですよね? だとすると始めから、これが狙いだったのかな……」
――待て。
「ちょっといいか。俺たちがいつ、あの銃操士たちはPKだ、と言った?」
「あっ――」
射手の顔色が変わった。
「それはその、ホラ、あれですよ。うーん……言いませんでしたっけ? そうか、そうだったかなあ……」
「言ってないぜ」
「うーん、じゃ、私が勝手に勘違いしたのかな。ホラ、彼、私も殺そうとしてましたし。あなたの口ぶりから、どうもあなたたちも襲われたんじゃないかなあ、と……」
「勝手に推測した?」
「ええ、ええ。そうです。いやとんだ早とちりをしました。失敬しっけい」
「まあ、結局あいつ筋金入りのPKだったんスけどね」
「なあんだ、そうなんですか? 錬金術師の兄さんもお人が悪いなあ。そんなことでからかわなくても……」
「…………」
俺は考えていた。
俺の口ぶりだけで、奴がPKか否か判断できるだろうか? 確かにそれらしい口ぶりや態度はとったかもしれないが……いや。
もし、この射手が俺たちが襲われたことを知っていたとしたらどうだ?
そうすれば――いや、まさか、ではこいつの正体は――
だが、だとすればあの奇妙なクエストの進行や、サーバーの異常も頷けるが――
となると、このクエスト自体がはじめから――そんな――バカな。
「ちょっと、ユノーユ?」突然の声に、俺はいきなり現実へと引き戻された。「なにさっきから怖い顔して。眉間に皺、寄ってるよ。便秘?」
「んなわけあるかっ」
俺はチハルにツッコんでおいてから、射手の男に向き直った。
「アーチャーさん。あんたが何者なのかを俺たちは探らないし、知ろうとも思わない。それぞれの胸に手を当てればいいだけだからね。だが、あんたの挙動には不審な点が多すぎる。残念だが、共闘することはできない」
「そうですか……」射手は一瞬、寂しそうに微笑んだ。「仕方ありませんね。ここから先は別々の道です。お互い、がんばりましょう」
「ああ。じゃあな」
俺は剣を鞘に仕舞い、握手のために右手を差し出した。それを見た射手は一瞬照れたように笑いそれから右手を出してくる。
と、そのとき。
死んだと思っていたハズのキマイラの下半身がぐらりとゆらめき、瓦礫が音を立てる。合成生命体の尻尾である大蛇が鎌首をもたげ、瀕死の体からは想像できないほどの速度で体を伸ばし、赤黒く濡れた牙を剥きだしに襲い掛かってきた!
体が握手の形になっていた俺は咄嗟に反応できず、グレイも、目の前の射手も体勢が悪く即座に防御体制に入れなかった。大蛇は物理的にありえないと思えるほど胴を伸ばし、一直線に伸長する! その先には、クリティカルゾーンを曝け出したチハルとコウが……!
(間に合わない!)
俺が凄惨な一瞬を予想して目を閉じかけた瞬間、目の前のなにかが跳躍した。
「な!?」
右手を握手のために差し出した格好のまま、射手は大地を蹴り横ざまに飛んだ。自らの体を毒蛇とチハルたちの間に滑り込ませ、肉の壁と為すために――!
「ぐああぁっ!」
射手の背中に大蛇が喰らいついた。射手の顔が苦痛に歪む。岩をも砕く強烈な顎が、後衛のため軽装の出で立ちであった射手の脇腹から肋骨、背骨を、まるで紙細工のように噛み砕いていく!
俺はあまりの出来事に一瞬呆然とし、咄嗟に動くことができなかった。
射手と大蛇はそのまま床に激突、顔面から落下した射手の頸が、ゴキリと不自然な音を立てる。目標を狙いそこなった大蛇は悔しそうに目を光らせながら鎌首をもたげ、二股に分かれた舌を出し入れしながらシューシューと耳障りな音を立てる。
「ん……なろおおおおおっ!」
激昂したグレイが戦斧を振り上げ、一直線に魔物へと向かっていく。再び跳ね上がったその牙に右肩の装甲をえぐられながらもグレイはそのまま突進、付け根の胴体めがけて戦斧を振り下ろす。飛び散る紅蓮の火花。
俺もようやく戦意を取り戻し、再び剣を抜くと魔物へと駆け出していく。
「ライトニングローダー!」
チハルの唱えた魔法が指先から迸り、青白い発光体が電撃の尾を引きながら大蛇の口腔に直撃、火花を散らしながら魔物を内部から灼き切っていく。
「瓦礫で眠ってろ!」
朽ちた巨木の根を足がかりに、俺は天井近くまで跳躍。重力に加速されて威力を増した愛剣カッサンドラが、振り下ろされた断首台さながらに落下し大蛇の首を一刀の元に両断した。
血反吐を撒き散らしながら、今度こそ、キマイラは瓦礫の中に没した。
「大丈夫か、あんた!」
魔物が消滅するのを確認すると、俺は剣を鞘に収め、うつ伏せに倒れた射手の下へと急いだ。
「ああ……あなたたち……よかった、無事だったんですね……」
「喋るな!」俺は散乱した瓦礫から男を助け起こし、その顔を覗き込んだ。「死んだら強制切断されるぞ! あんたにはまだ聞きたいことが山ほどあるんだ!」
「大丈夫ですよ……どうせ……痛みは……ありません」射手はうっすらと笑った。「これもエフェクト……演出効果の結果に過ぎませんし。なにも、本当に、死ぬ、わけでは……」
「もういい、喋るな!」俺は一喝すると、後ろのコウへと叫んだ。「コウ、回復魔法だ! 早く!」
「残念ながら、手遅れのようです」コウは目を伏せて首を横に振った。「ヒーリングの呪文対象になりません。おそらく、もうステータスが底をついてしまったのでしょう。もうすぐスペクターモードに入るはずです。でも、この状態では復活魔法も使えるかどうか……」
「私のことは、気に、しないで、下さい……あなたたちは、先に、急ぐのです」言葉に雑音が混じる。接続が切れかかっている証拠だ。畜生!
「最後に教えろ! あんた、本当は一体何者なんだ!?」
「早く、塔の、最上階へ……一刻もはやく、この、悪夢のような、ゲームを、終わらせ……」
「おいっ!」
「 」
そこで声は途絶え、射手の男は口を何度か動かしたがそれは音にはならず、やがてその動きも緩慢になり、止まった。
「…………」
俺は動かなくなったPCの外装を抱えたまま、しばらく動かなかった。
静謐なまでの沈黙が落ちた。
「やっぱり、スペクターモードにはならないッスね」グレイが惜しそうに言った。「あれにならない限り、コウさんがいくら復活魔法を使っても無駄ッス」
「本当に、死んだらそこでおしまいということね……」
俺は別のことを考えていた。
彼が最後に言った言葉。音声はこちらまで届かず、わずかに口の動きのみを察したに過ぎないのだが……
『すまない』
最後に彼は、そう言ったように見えた。
すまない。どういう意味だ? 真実を語れなくてすまない、嘘をついてすまない……いや。
『こんなことに巻き込んでしまってすまない』
彼はこのクエストのことを、『悪夢のようなゲーム』と言った。もしこのクエストが、ある目的のために仕組まれたものだったとしたら……
間違いない。
ヤツは、
ヤツは俺たちの中にいる。
*
いったいどれくらい昇っただろうか。
敵は昇るごとに強さを増し、戦闘は熾烈を極めていった。だが、俺たちの歩みを止めることのできるものは、誰一人としていなかった。俺たちの意思はひとつのものになっていた。
最上階へ! 最上階へ!
古代文字を操る妖魔術士も、石化の呪いを振りまく石怨蜥蜴獣も、はたまた巨大な棍棒を振り回す一つ目巨人も、俺たちの道を阻むことはできなかった。
途中拾った戦利品の中には、かなり有用なレアアイテムもいくつかあった。それに加え道中のレベルアップを加味すると、ここだけで俺たちはかなり成長したことになる。しかもステータス的な上昇だけでなく、外装の操作テクニックも格段に上昇している。慣れなかった錬金術師も、今やかなり精密な動作で思ったとおりの戦闘を行えるようになった。やはり命がけの苦労は人間を成長させる。
ようやく敵の出現が一段落した時、不意にチハルが口を開いた。
「ねえ、結局あのヒト、何者だったのかしら?」
「あのアーチャー?」それは俺のほうが聞きたいくらいだよ。「さあな……まあ怪しいやつではあった。言動もなんだか嘘っぽいし」
「その割には、なんだか友好的でしたよねえ、ユノーユさん」と、混ぜっ返すコウ。「最後には太陽にほえろ並みの殉職シーンなんか演出したりして。何かあったんですか?」
「え、そうか?」
「そうそう。なんかあの後しきりに考え込んでるみたいだったッスし」グレイも言ってくる。「ひょっとしてなにか分かったんスか? だったら早く教えてほしいッス!」
「別に、そんなに大したことじゃないよ」言いながら俺の頭は猛烈な速度で回転していた。どこまでが真実で、どこまでが妄想なのか。「そうだなあ。少なくとも悪いヤツには見えなかったなあ」
「そういうことを聞いてるんじゃないんだって。そりゃ、確かに最後はあたしたちを庇ってくれたんだけどさ」
「そうそう。ああいうことする奴に悪い奴はいない」
「やけに勧善懲悪モノの価値基準ですねえ。マンガの読みすぎじゃないんですか?」
コウまでが笑いながら茶化してくる。
「そうだそうだ。それに、あんたその前に握手までしようとしてたじゃない! ガラでもない。ひょっとして惚れてた?」
「んなわけあるかっ」
「じゃあ見せなさいよ」
「何をデスカ?」
「根拠よ、根拠。あんた得意でしょ?」
「うーん」
少なくとも、ある程度までは明かさないと展望が開けないだろう。
「俺は、あのアーチャーはGMだったんじゃないか、と思ってるんだ」
「GMァ!?」
「ああ。隠密でログインしていたGMか、あるいはそれに近い人種」
「近い? 近いって……GMに近い人種って何よ。GM以外に何がいるってのよ」
「別にここのホストのGMである必要はない。助手とか、他のホストのGMとか――まあそれはいいや。とにかくここのワールドを管理する立場にある人間」
「でも、GMは不死身なんじゃない? あいつアッサリやられたわよ?」
「だから隠密なんじゃないか。きっと、意図的に不死身フラグを切ってあったんだよ。あの一撃を喰らってピンピンしてたら、それこそ怪しい。誰だってGMじゃないかと疑ってかかるようになるだろう? きっと、他の人間に知られちゃならない何かがあったんじゃないかな」
「何かって何スか?」
「さあ。そこまでは知らないよ。ただ何かの事情があったことは間違いない」
「ユノーユ、あんたやけに自信たっぷりだけど、さっきから言ってる根拠は何かあるわけ?」
「あるよ」
「え」
「ほんとですか!」
「いいか。彼は途中までソロで来てたと言ってたが、たぶんそれも嘘だ。決定的な証拠こそないが、状況的にまずありえない。俺たちよりも、さらにあのPK二人組よりも早く敵を倒しここに辿りつくのは、まず不可能だろ?」
忘却の予言の書など入手難度の高いイベントアイテム。後衛職ではまず倒すことが不可能と思われるモンスターたち。さらに村長イベントでは、俺たちは近道をしている。それよりもさらにはるか先にここに辿り着いていたとなると。
「たぶん奴はイベントをこなしてない。直接ここに飛んだんだ。このイベント専用マップにね。そして冒険者の振りをして俺たちに接触した。そんなことができるのは……システム側から干渉できる、GMしかいない」
「そんな……でも、どうして?」
「逃げた銃操士を倒すためじゃないか。PKに対しては徹底した態度を、って奴」
違う。そんな理由じゃない。少なくともそれは理由の一端ではあるだろうが、どうでもいい余剰分にしか過ぎない。なぜならばGMは、違法行為をしたPCを排除するのに、わざわざこのマトリックスに降り立つ必要などない。IDを解析して、スイッチを押すだけでいいのだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか。もう伝説の剣は目の前だぜ?」
「なんか……あんた一人分かったような顔をしてる気がするけど……」
「俺は何も分かっちゃいないさ」それは本当のことだった。「行こうぜ」
塔の外見と構造を解析するに次が最上階だろう、とコウが言った。俺たちは無言のまま、何世紀分もの埃がたまった石段を登った。
そして、最上階。
そこは一見、がらんと何もない大広間のような空間だった。円柱状の外壁に、錆びたような苔生したような黄色い材質の石材で覆われている。まるで全てが片付けられた後の倉庫のような、何ともうら寂しい印象を与える。今までが悪意の塊みたいな迷宮だったのに対し、ここはあまりに無色すぎ、ヒネリがなさすぎた。肩透かしを食らったような気分になる。
動くものの気配はない。
「これだけ、か……?」
階段から次々と仲間たちが顔を出す。どの顔も、落胆したようなホッとしたような表情を浮かべている。確かに、守護者とその配下たちがいきなりジャカジャカ出てこられたんじゃたまったものではない。
「何もないですね。昇りの階段もない。ひょっとして、この塔は擬装だったんでしょうか」
「多分そこらにスイッチか何かあるんじゃないッスかね。こういう場合の常套ッスから」
どういう場合だ。
とりあえず俺たちは他に手もないので、グレイの意見を容れて手分けしてあたりを探ることになった。こんな何もない部屋のなにを探すんだよとも思ったが、数分もたたないうちに、チハルがこれ、ちょっと見て、と大声を上げた。
「どうした?」
「これ……仕掛け床じゃないかしら」
近寄って覗き込んでみれば、なるほど整然と市松模様に並べられた床のタイルが、一箇所だけ不自然に浮き出ている。よく見れば文様も掘り込まれているようだ。俺が表面の埃を手で払うと、双頭の鷹と盾を象った紋章に、いくつもの古代文字が見て取れた。
「なんて書いてあるのかしら」
「読めるかこんなモン」
だがまあ、ここを造った奴が何を言いたいかはたいてい分かる。要するに、
「押せってことだろう?」
「まあ、そうでしょうね。普通に考えると」
「ほーら、やっぱりスイッチだったじゃないッスか」
なぜか自慢げなグレイ。
「押したらいきなりドカン、とか」
「でも他にそれらしいものはないッス」
「そうだな。罠だったとしても動かしてみないことには何も始まらないしな……よし、みんな、固まってくれ。俺が押す」
「ああっ、ズルい! こういう時はオレに任してほしいッス!」
「待った。こういう役得はあたしのもんだっ」
「分かった、分かったよ。ここは俺に任してくれ。万が一落とし穴でも開いたら大変だろう?」
「とかいって、結局自分も押したいだけッス! ええい、押してまえー!」
「っドカン!」
「ひゃあ!」
「なーんちゃってー、へーんビビってやんのーやーいやーい」
「お前らいくつだッ」
「あのお……」口論する俺たちを尻目に、コウが弱々しい声を出した。「もう、押しちゃったんですけど」
「え」
「マジ……?」
床板が軋み、建物が振動する。目に見えぬ場所で大きな演算処理がされている感触がする。何か大きなデータを読み込んでいるのだ。
「これはっ」
見ると部屋の奥、階段とは反対側の壁にノイズが走り、小さな祭壇が姿を現していく。
いくつものライナー・ノイズを縦横に走らせながら、『それ』は姿を現した。
一段盛り上がった土饅頭のような、祭壇というには少々お粗末な段。周りにはどこか中国的な唐草模様が描かれ、その間を縫うように古代文字がぎっしり書き込まれている。そしてその中心に座しているのは、光り輝く、
「剣だ!」
誰ともなくそう叫んだ。そこには刃先を下、剣塚を上に向けて、一本の両刃剣が突き立っていた。鞘はなく、剥き出しの刀身は青白い輝きを放っている。
「ひゃっはあ、お宝ゲットー!」
「お、おい、ちょっと待て、チハル!」
俺が止めるのも構わず、チハルはぴょんぴょん跳ねながら祭壇に向かって走っていく。
「ホントにあったんスね!」
「待て、何が起こるか分からな……」
「いっちばんのりィ! ふはは、悔しいかユノーユ! けけけ、ツバつけてや……」
ふざけ顔でチハルが光剣の柄に手をかけた瞬間。
世界が暗転した。
「!?」
世界は黒以外の色を全て失い、暗黒の深淵に切り取られたかのようにすべてを闇に染めた。いや、ない。すべてが消失したのだ。剣も、塔も。床も天井も、チハルもコウもグレイも俺も、空気も重力も、すべてが消失したのだ。
(フィールド転移……!?)
先刻の転移とは違う、暗黒の空間移動。
それは何を意味するのか。
一瞬の間の出来事だったかもしれないし、永遠のように長い時間の後のことだったかもしれない。ある瞬間から、全身にかかる重力と、頬に当たる冷たい風の感触が戻ってきた。だが、周囲は暗黒のまま。相変わらず匙で掬えそうなほど濃密な闇があたりに蟠っている。
胃のあたりで、急激に不安が膨らんだ。
「チハル! いるか!? コウ、グレイ、大丈夫か!?」
「ユノーユ……さん……」
「なんとか、大丈夫みたいッス……また、フィールド転移ッスかね……?」
「ああ」
良かった。とりあえずは無事なようだ。
「チハル? いるのか、チハ……」
「こえ……」
チハルの声がした。
「何?」
「この……声……いえ……音?」
「チハル、そこにいるのか? 無事か?」
「この、音……な、なに……?」
何?
その瞬間、俺にもその気配が察知できた。
ぬうう。ぬうう。
遠くから近くから、闇そのものがあげているような唸り声が聞こえてくる。
ぬうう。ぬうう。
――ズン――
――ズン――
胃の奥から突き上げてくるような、背骨を駆け抜けるような戦慄。単なるヴァーチャルではとうてい実現し得ないほどの、圧倒的な存在感と威圧感。
これが、殺気――?
ぬうう。ぬうう。
闇が身じろぎし、闇が凝り固まる。いや、闇からなにかが、身を乗り出そうとしている――
闇がざわめく。空間が揺らぐ。圧倒的な質量と威圧感を持って、そいつは姿を現す。
「――竜――!」
俺がそう呟いた瞬間、金色の小さな双眸が怪しく輝き、そして、真っ赤な奔流が吐き出された。
「きゃあああああああ!!」
闇と渾然一体になった竜の吐息は空気を焼き大地を焦がし、俺が今さっきまで立っていた場所を焦熱の煉獄へと変えた。すかさず横転してなんとか逃れた俺は、視覚設定を『明』にしてあたりの様子を窺う。
仲間たちは皆そこにいた。俺の位置からそう離れない場所にチハル。巨大な竜を挟んで向こう側にグレイ、その向こうにコウ。
そして自分が今立っている場所を見て――俺は息を呑んだ。
そこは宇宙だった。
なにもない深淵の闇に、近く遠く白い粒が輝いている。1080度見渡す限り闇大海の広がる空間に、石畳のタイルのような市松模様の白線が縦横に走っていて、それがどうにか俺たちの立っている平面を際立たせている。だが、それがなければもはやなにもない空中に浮かんでいるとしか思えない。そんなギリギリの場所だった。
そこに悠然と立つ、一匹の黒く黔い獣たちの王。
GMもなかなか粋な決戦地を造ってくれたもんだぜ!
俺はチハルのもとへと駆けながら、叫んだ。「みんな、陣形を整えろ! 竜だ! こいつでラストだぞ!」
コウとグレイはすかさず距離を取り、俺はチハルの腕をとって竜の足元を駆けていく。それを見ながら竜は首をくねらせて忌々しそうに啼いた。
「グレイ! 補助魔法と耐火バリアの詠唱が終わるまで二人を守るぞ」
「がってん!」
俺たちは最前衛にグレイ、中衛に俺、後衛にチハルとコウという、これまでに培ってきた陣形の基本戦術姿勢をとった。竜は向きを変え、闖入者を排除しようと向かってくる。
「封印の護符ッ」
時間稼ぎに俺は懐の護符をひとつ抜き出して敵の顔面に放った。竜は目を細めると、鼻息だけでそれを吹き飛ばす。明らかに嘲笑の色を含んだ金瞳。
AIごときに嘗められるほど落ちぶれちゃいないぜッ!
俺は敵の視線を逸らすために右に大地を蹴り、右目の死角から脚を狙う斬撃を放つ。緑色に輝くほどに黒い鱗鎧が、その一撃を軽々と弾いてみせる。
竜鱗はゲーム中、最も硬質な物質のひとつとされ、種々の高級防具に用いられる。それを全身に纏った竜はさながら歩く装甲戦車、設定上剣が叩き折られることはないが、それでも硬度差でほとんどダメージを与えられない。
俺は囮を演じるためさらに足元を狙って剣を振り下ろす。指と黒爪のわずかなクリティカルゾーンに剣先がヒットし、火花が舞った。竜はこちらにはじめて気づいたように頭をもたげ、その双眸に瞋恚の炎を燃やす。俺は挑発代わりに、ニヤリと笑ってやった。
次の瞬間、何の前触れもなく俺のすぐ横に巨大な竜の尾が出現し、なんの防御姿勢も取れないまま俺は横ざまに吹っ飛ばされた。眼球が裏返り、胃が逆流する!
「ッ!?」
俺は為す術もなく回転しながら吹き飛ばされ、数メートル離れた地点に激突した。床の白線が乱れるほどの衝撃が走る。飛ばされながらコウがすかさず回復魔法をかけてくれたので即死は免れたが、あまりにも各部パーツへのダメージ値が大きすぎて一時的に動作不良を起こす。
強い……!
竜は蛇のしなやかさと丸太の強靭さを併せ持つその首を大きく廻らせ、チハルたちのほうへ向かってブレスを放とうとする。マズい!
その時、チハルが詠唱していた上位魔法《スウォーム》が展開。極小の羽虫にも似た電撃球体が術者を中心に発生し、互いに火花を散らせながら竜の巨躯へ向けて殺到していく。それも十や二十の数ではない。あたり一面の黄金色の電気蜂だ。
竜は空中へ向け紅蓮の吐息を吐きかけそのいくつかを消滅させるが、大部分はそのまま竜に殺到、黒鱗で覆われた表皮に達してわずかな隙間から浸透、内部からの電撃で組織を破壊していく。竜が苦悶の咆哮をあげる。
簡単には扱えない大魔導士クラスの呪文を放った女エルフは、こちらを一瞥してニヤニヤと笑った。
戦意を取り戻した俺は落下地点から体のバネを使って上体を起こすと、剣を拾いながら仲間の元へと走り出した。
「多重結晶ッ」
俺の手元から透明な刀剣が伸び、竜の足元の鱗を掻きむしっていく。強烈なブレスと尻尾の鉄槌さえ注意すれば、遠距離からの攻撃で勝てない相手ではない。臆することなど、何もない。
もう一度、超長剣を振りかざし袈裟懸けに切り下ろす。首筋まで刃が通ったところで首をもたげた竜の顎にかかり、水晶の剣が千々に噛み砕かれてしまう。だが、それさえも次のための囮に過ぎない。
竜が視線を逸らした一瞬の隙に、グレイが跳躍していた。
グレイは両手持ちの戦斧を丸鋸のように回転させながら、自身の身長よりもはるかに高い竜の首筋に着地、刃をめり込ませる。思わず上体をそらした竜が行動体勢に入るより早く、グレイはその巨体からは想像できない俊敏な動きで持ち手を中心に回転、突き刺さった戦斧を足がかりに二段跳躍。さらに耕作機の要領で斧を引き抜き竜の背骨に得物を再度叩き込む!
竜が天を衝く咆哮をあげて身をよじり、背上のグレイを振り落とす。斧を引き抜こうと一瞬動きを躊躇わせたせいでグレイは無様に地面に叩きつけられるが、その傷もコウが瞬時に癒す。
怒り狂った竜は後衛であるコウを押しつぶそうと前肢を振り上げるが、その攻撃の延長線上には既に俺が滑り込んでいる。攻撃に割り込む形で俺はコウを突き飛ばし、俺はドラゴンの踏み潰しをモロに喰らう!
竜が苦悶の咆哮をあげた。
俺はその巨大質量による圧搾を全身で受けながら、剣を立て奴の足裏にめり込ませてやったのだ。いくら超硬度を誇る肉体とはいえ、ただでさえ装甲の薄い足裏で、自分の体重をそのまま剣先に集中させられたのではひとたまりもない。俺もぺちゃんこなので痛み分けだが、肉体が粉々になる前にコウがすかさず全快させてくれる。
竜は雄叫びを上げながら前足を浮かせ、すべてのものを薙ぎ払おうとする。俺たちはその攻撃範囲に入らないよう間髪いれず後退する。
「チハルッ」
俺が目で合図すると、チハルは瞬時に作戦を悟ったのか詠唱を開始、中級魔法《アイスニードル》の氷針を即座に出現させる。
超質量に強襲する、無数の針の雨。
竜は口腔を膨らまし、世界最高温度を誇る吐息を放射、スペルの威力差で霧氷の悉くを蒸発、霧散させていく。
俺が狙っていたのもそれだった。
竜が火炎放射を放ったのを狙って、俺は逆にその炎の中に飛び込んでいった。普段ならどう考えても自殺行為にしかならない行動だが、今回は目的があった。
錬金術師上級特殊スキル《バーニング・タン》。
自ら焼かれに飛び込んだ人間に嘲りの色を浮かべた竜の瞳が、即座に驚嘆のそれに変わる。
爆炎が収まると、そこに立っていたのは炎を手中にした俺の姿だった。
「錬金術の究極は、4大要素の支配にあるのさ」
一度これを言ってみたかったんだ。
俺が両手を掲げると、その中で液状の炎が、まるで生きているように踊り狂い、即席の長鞭となって唸りを上げた。誕生したことを歓喜するように伸縮するそれを持って俺は跳躍、咄嗟に防御しようとする竜の右前肢に、炎の飴を叩き込んだ!
超威力を誇る竜の炎を具現化した鞭は竜鱗など飴細工のように割り裂き、肉に食い込んでその肉体を溶解、蒸発させる。さらに返す手で脇腹を薙ぎ払い、さらにダメージを加えていく。
竜が怒号を上げ、俺の上半身を食い破ろうと上下顎を広げ急襲するが、それは同時に、竜による最後の足掻きを意味していた。
「ユノーユ!」
誰かが叫んだ。合図はいらなかった。
竜の視界に俺以外の人間が完全に映らなくなったとき、支援魔法で移動速度を上げたグレイが逆側の脚に走り、敵の足甲に戦斧を叩き込み、地面に縫い付けた。突然のことに一瞬動作を遅らせる竜だが、攻撃の矛先を変えるには体が動きすぎている。ブレスによる広範囲攻撃に切り替えようとしたところをコウの上級遮蔽魔法《シャコールカーテン》が発動し死の吐息を遮断、さらにチハルの下級補助魔法《パラライザー》によって一瞬だけ首の動きが止まる。
俺は怒声を上げながら突進していた。
俺を食い殺そうと限界まで開かれたためにわずかに隙のできたその顎をかいくぐり、竜の唯一にして最大の急所、喉の裏に存在する逆鱗に、炎の剣を深々と捻じ込んでいく!
爆裂するような赤黒い火花が飛び散り、全界を揺るがす竜の断末魔が全身をビリビリと震わせるが、剣に込めた力をゆるめることはない。より一層深く押し込んでいく。
RUAAAAAAAAAAAHHッ!!
バリバリバリバリバリバリバリバリ!
絶叫と破砕音の二重奏が、永遠とも思えるほど延々と響いていく。
だが、それにもやがて終幕が訪れる。HPをこそげきった竜の逆鱗から火花が止み、それに引きずられるように竜の瞳から炎が失われていく。首が急に重みを増したかのようにゆっくりと弛緩し、上体がぐらりとよろめく。
かすかに傾斜したところで一瞬持ち直し、体勢を持ち直そうとするが、やがて糸が切れたように逆側に傾斜、低く威厳さえも感じる地響きを立てて、竜は倒れた。
世界に、鼓膜が破けそうなほどの静寂が落ちた。
「……やった、やったわねユノーユ!」
歓喜の声を上げるチハルの声に、俺は肩で息をつきながら、ゆっくりと振り返る。
「やった、のか……?」
「そうよ、あたしたち、ついに倒したのよ、ドラゴンを!」
倒した。
俺たちが。
「倒した……ついに……!」
「ちょっとアンタ、なに呆けた顔してんのよ! もっと喜びなさいよ!」
チハルは少女のように駆けてくると、ぴょんと飛び上がって俺の首っ玉にかじりついた。
「ちょっ、チハルよせよ、恥ずかし……」
「いま喜ばないでいつ喜ぶってのよ!」
「そりゃ、そうだが……」
「よっしゃあ、これで魔法使いチハルさまの名前も世に轟くってもんよ。なんてハッピーなけつま」
ズブリ。
――え?
何が起こったか分からなかった。
チハルの顔が眼前で凍っている。得意満面の笑みに唇を引かせたまま、言葉を止めている。
その、喉に。
刃が突き出ていた。
エルフの細い喉首に、白く鋭利な刃が、まるで内側から生えて来たようににょっきりと突き出している。
ひゅうひゅうと、声にならない音がそこから漏れた。
しばらく時間が止まっていた気がした。
チハルはあえぐように両手を首にそえ、顎を上げ、何ともいえない、救いを求めるような目でこちらを見つめると、やがて糸の切れたように膝から崩れ落ち、透明な床に激突した。
「――いい表情ですねえ、ユノーユさん」
その後ろに、立っていたのは。
「そういうリアクションをね、僕は期待してたんですよ。でなければ、ここまで手間暇かけてお膳立てをした意味がない」
透明に白に輝く剣をその右手に握り、アラド=ドナ族特有の中性的な顔立ちに微笑を湛えた、
「……コ、ウ……?」