アルテミスの音 後編


掲載サイト:ESSENTIAL  作者:ねざ




「どうしました、ユノーユさん? あなた予想してたんじゃないですか、こうなることを?」
 俺の頭脳がゆっくり息を吹き返した。
「まさか、お前が……」
「うーん、なんて月並みなセリフでしょう。三文シナリオのアニメ脚本だって、もうちょっとマシなこと言いますよ」
「ユノーユさんッ!」遠くで、グレイが叫んだ。「そいつから離れるッス!」
「ふん、端役は黙っていてもらおう」
 コウは剣を握りなおし踵を返すと、グレイの懐へと跳躍した。
「なっ……」
 その動きは人間のものではなかった。ましてや、後衛の回復役にできるものでは。
 グレイは戦斧で応じようとしたがかなわず、半端な姿勢のまま光る剣に袈裟懸けに胸を引き裂かれた。後方によろめきながら何とか反撃しようと腕を伸ばすが、その腕ごとコウは剣閃を走らせ、円舞のような動きで薙ぎ払った。
 あえぐように巨体を震わせて倒れるグレイを、コウは、まるでつまらないものでも眺めるかのように見下ろした。
「目の前で起こっていることが信じられないような顔ですね」
 別人のような表情で、コウが言った。
「……コウ……」
「さて、あなたを買いかぶりすぎていたかな? もうすこし快刀乱麻に謎解きを決めてくれると思ったんですが、そうも呆けられていちゃこっちとしても遊び甲斐がない」
「コウ、お前、本気でやってんのか……?」
「おかしなことを言う。この世界に本気などない。どこまで行っても結局は、ただのママゴトに過ぎませんよ」
「……分かった」俺はキッと前方を見据え、腹から声を出した。「そうまでお前が言うなら、俺もこのくだらない遊戯に終止符を打ってやろう。それが俺の役割だ……そうだろう、コウ。いや……世紀のマッド・ハッカー、《チキン・ボーン》」
「……やはりあなたは素晴らしい。錬金術師ユノーユ……いや、あなたに倣うとすれば、《血塗られた覇者ヴァイザー》……キャラクターを消したのは、僕に見つかるのを恐れたためですか?」
「バカ言え。単に知名度がウザったくなっただけだよ」
「それで?」
 コウが嬉しそうに続きを促すので、俺は吐き出すように言葉を紡いでいった。
「このイベントは、最初から不審な点が多すぎた。少なすぎる接続人数、あやふやで整合性のないクエスト。背景ストーリーをなぞっているようで、どこかが破綻している。……結論はバカみたいに簡単だ」
 俺はそこで、裏切り者の顔を見る。
「このイベントは正規のものではない。すべてお前が仕組んだことだったんだ」
 刺すような俺の言葉に、コウはしかし何でもないように笑った。
「半分正解、といったところですね。まああれだけのヒントでよくそこまで辿りつけた、とでも言っておきますか」
「村のイベントで、倒した暗殺者からアイテムリストを見つけたのはお前だったな。あのとき既に、歪んだ歯車は回りだしていたんだ――村長を殺したのはお前だな(・・・・・・・・・・・・)
「ご名答」
「先回りして村長を始末したお前は、何食わぬ顔で村長失踪を俺たちに告げる。その後の襲撃までお前の計算だったかどうかは知らないが……」
「残念ながらあれは予想外です。馬鹿な連中もいたものですね」
「まあ、どちらにしろ、だ。お前は上手く俺たちを誘導し、アイテムを揃えるという無駄な段階を踏ませ祠まで誘き寄せた。そしてホストをハッキングして(・・・・・・・・・・・)作り出したワープポイントで、俺たちをこの独自マップに閉じ込めた。お前の支配する、腐った世界にな」
この塔(オニキス)は先日会社のデータベースに侵入して頂戴したものです。本来なら別のイベントに使用される予定だったそうでして、個人的にはなかなか気に入ってるんですが」
「果ての古城も伝説の剣も、すべてお前の詭弁か」
「さあてねえ。説明してるうちに、どこまでが本当なのか分からなくなっちゃいましたよ」
「ただ、分からないことがひとつある」
「何でしょう?」
「――目的、だ」
「ははあん、肝心のそれが分からないんじゃあ、いくらカッコつけて推理小説ゴッコしたところで意味がないですね。残念」
「何を望んでこんな茶番を仕組んだ? 知り合いの顔をして俺たちのパーティーに潜り込み、せっせと甲斐甲斐しく戦闘を手伝っておいて……なぜ今さらになって掌を返す?」
「――全く馬鹿げた問いですね。あなたこそ、何を糞真面目に怒ったりしてるんですか?」
「何っ……」
「ここは仮想現実ですよ? 成し遂げることも作り出すことも、いっさいに意味がない。しょせんは虚構のママゴトです。僕はただ、あなたの反応を見て楽しみたかっただけですよ、英雄さん」
「なッ……」
「確かに僕はマッド・ハッカーだとか何とか妙な二つ名をいくつも持っています。でも、それに何の価値があると言うのでしょう? 糞の役に立ちもしない技術を少しばかり持っていたからって、なんの金銭価値もない。だから僕は、試したかった。ちょっとした人間観察ですね。だが、僕の認識は誤っていたとしか言いようがありません。あなたがたの反応は――実に愉快だった」
「――貴様」
「こいつらは何て愚かな生き物なんだろうと思いましたよ。正直、新鮮だった。真実味のないクラッカーの標榜ひとつで、何十人という生身の人間が殺しあうんです。これが快感でなくて何でしょう? 映画や物語の中でしか実現しない大量殺戮が、自分の指先ひとつで起こるんですよ?」
「……この世界はママゴトだと言ったのはお前だ、チキン・ボーン」
「その通り。だからこそ、本性が剥き出しになるんじゃないですか。裏切りも無意味、死も無意味――最後に勝ち残った男は、どれだけ虚無感に襲われたでしょうねえ?」
「――お前には分かるまいよ」
「いやあ、読ませていただきましたよ、『篭絡のサンディ城』。なかなか迫真迫るストーリーでしたねえ。事実なんだから当然ですが。最強の剣士ヴァイザーは、文才にも恵まれていた、ということですか?」
「お前に褒められても嬉しくない」
「そう無碍にされなくてもいいじゃないですか。それに、ヴァイザーの意見は概ねそのハッカーと似たり寄ったりの所があったようにお見受けしましたが」
「俺はあんな凶事を企てようとは思わない」
「そうですか? 残念ですね。あなたには素質があるように見えたのですが……」
「そんな素質、吐き気がするね」
「嫌われたものですね。まあいいでしょう。さて、では――そろそろ幕引きといきましょうか」
 コウはゆっくりとその光剣を振り上げ、中段に構えた。空間に、不可思議な気配が満ちる。
「シルヴァンスは僕の与太でしたが、こいつは本物ですよ。データを改竄して作り出した改造アイテムです。攻撃力は推して知るべし」
 俺はいつの間にか落としていた愛剣カッサンドラを拾うと、抜き身を横一文字に構えた。その切っ先に、コウの姿を捉える。
 その時、ふと全身が軽くなり、両腕に力が漲るのを感じた。潜在ステータスが上昇したのだ。
「これはハンディを無くすための特別措置です。ああ、僕のアバターは元から上限までデータを改造(チート)させてあるんで、ご心配には及びません。別にあなたをロストさせることが目的ではありませんし」
「とんだ愉快犯ヤローだ」
 言いながら、俺は爪先刻みに距離を窺う。
「最後の戦いに相応しく、派手にいきましょう」
 互いの視線が絡まりあい、近づいてはまた爆ぜる。見えない円を描くように、二人の剣士は互いの位置を縮めていく。
 現実感のない黒い宇宙の真ん中で、俺たちは、たった二人きりだった。
 互いを求め合うように、殺気が交錯する。
 先に跳んだのは俺だった。
 一歩で距離を無にした俺は、腰を落とし、両肩で遠心をとりながら中段の斬撃を叩きつける怒涛の一撃を放った。コウはそれを読んでいるかのように前方に跳躍、剣先が加速しきるより早く刀身で受けて力負けを防ぐ。と同時に左足の爪先が跳ね上がり俺の胸板を掻き毟っていく。直前で力を緩めていなければ心臓にめり込む一撃だ。俺は内心冷や汗を流しながら退き、剣を正眼に構えなおす。
 ――強い。
 コウはニヤリと満足げに微笑みながら地を蹴り、剣先を地面に滑らせるようにしながら吹き上げる一撃を俺に放つ。俺はそれを真っ向から受け止めることをせず、柄でわずかにそらしながら肩を押し出すように肘鉄を繰り出した。コウは構わずそれを鎖骨で受けながら片足だけで跳躍、迅雷の刃と化した膝を俺の肋骨に叩き込んだ。
両者から飛び散る、鈍い破砕音と火花の花弁。
 俺も奴も、攻撃力から防御力、生命力、全てにおいて互いに異常なまでに上昇していた。おそらく普通のレベルアップを重ねていただけでは、ここまでの能力値は出ないだろう。この戦いは、すでに常識で測れる範疇のものではないのだ。
 俺は小柄な体躯を折り曲げて撓め、銀剣を下段から変化させる三段突きを繰り出した。コウは一撃目をブーツ、二撃目を手刀で受け、三撃目を火花を散らす光剣で弾く。勢いで無防備になった俺の胸板に、隠していた小刀を叩き込んだ。
 俺はそれを回避せずに自ら進んで全身、突き入れる刃に舞う火花はまるで鮮血。だが俺はコウの右手を掴み動きを抑え、もう一方の手で懐からアイテムを取り出す。
 携帯用培養機。
「望みどおり派手な戦いにしてやるよッ!」
 俺は壜の蓋を親指一本で叩き割り、一瞬で詠唱を完了させると叫んだ。
人造生命体(ホムンクルス)レベル7、《聖天(アーリヤデーヴァ)》ッ!」

 叩き割られ床に四散した壜の中から、青白い肉塊が飛び出す。それは蠕動しながら一瞬でもとの壜の大きさを越えるほどに肥大化、さらに成長しながら外形を形成していく。岩石が擦れあうような音を立てながら4本の棒が伸び、さらに伸縮を繰り返して段々と形を整えていく。
 それを防ごうとコウが俺の胸から抜いた短刀を肉塊めがけて投げつけるが、それを俺が軌道上で素手で掴み阻止。指先から鮮血が迸る。
 姿を現した《アーリヤ=デーヴァ》は、表情のない人間の顔を傾けた。
 錬金術師の最終目的は生命の神秘の解明、ひいては人間の手で人間を作り出す(・・・・・・・・・・・・)ことにある。これより下位の人造生命体は、単に最終段階へと到る置き石に過ぎないのだ。
 青白い肌を甲殻類の殻のような外装で覆った聖天(アーリヤデーヴァ)は、首を不安定そうに2、3度ぐらつかせると、両手を前に掲げ戦闘態勢をとった。どうやらコウをターゲットとして認識したようだ。
 人外の法によって誕生した生命体は、風を引き裂くような叫び声を上げながら跳躍した。
 コウは僅かに後退しながら応撃の一刀を放つ。だが《アーリヤ=デーヴァ》はその斬撃を避けることも、受けることもしなかった。
 剣に絡みついた(・・・・・)のである。
 四肢を器用に折り曲げて人造人間は刀身の横腹に着地、遠心力をものともせず体を撓らせて柄を、コウの拳を掴む。重さに耐えかねてコウが剣を地につけると、そのまま手首を掴んで体ごと回転、関節を破砕する投げ技に入る。
 コウは流れに逆らわず同時に横転し、致命傷を阻止。受け身をとって衝撃を吸収し、翻って剣を持ち直そうとしたとき、
 《アーリヤ=デーヴァ》の電光の蹴りが顎に食い込んだ。
 首から上を異形のように歪めながらコウは横に吹き飛び、数メートル離れたフィールドに肩から激突する。恐るべき威力だ。
 それまで呆然と人造戦士の動きに見入っていた俺は、思い出したように剣を持ち直し、走り出す。《アーリヤ=デーヴァ》も後を追うように続く。
 疾風の速度の俺を、さらに飛燕の速度で追い越した《アーリヤ=デーヴァ》が倒れるコウに追撃の一撃を放とうとして、
 爆裂した。
肩口から胸までをごっそり失い、肉片を撒き散らした《アーリヤ=デーヴァ》が吹き飛ばされていく。空中で錐揉み状に回転しながら《アーリヤ=デーヴァ》は地面に叩きつけられ、そのまま糸の切れた人形のように動かなくなった。
「……の、クソがァ……」
 白塵の中から起き上がったコウは、もはやさっきまでの少年とは別人だった。
「借り物の体でチョーシこきやがって、キモいオタク男がァ……マジでバラしてやンぞ……」
「ついに本性を表したか、ハッカーボーイ。そっちのほうが役に填ってるぜ」
「黙れこのチンカス野郎が! テメェは決定だ。なぶり殺し決定」
 感情を剥き出しにコウが両手を掲げると、周囲の空気が歪み集中し、拳の周りにエネルギーの塊のようなものを形成しはじめた。
「テメェのそのナルシスト面はな、いちいちムカつくんだよ!」
 吐き捨てるように言いながらコウは前方に肉薄、さらに速度を上げながら俺に拳を放つ。俺は剣で受け流そうとするが、ただの掌底のあまりの衝撃に抗しきれず、後方に倒れる。だが俺は倒れこみながらも剣を支点にして右足を蹴り上げコウの腹を押し、その勢いを利用して後方へ投げる。
 だが奴はダメージを受けていなかった。いや、地面に落ちてすらいなかったのだ。
 コウは投げられた放物線の途中で停止、そのまま翼でも生えたかのように空中に浮遊し続けている。
 奴の真の職業は《奇術師(ピエロ)》だったのだ。
 どの職業系統にも属さない、存在しないはずのジョブ。プログラム段階では確かに存在していたが、後にその性質から存在を抹消された。いや、されたはずだった。
「いぇーっへっへ、ビビったか? アホ面しやがって!」
 奇術師は空中で半回転、どんな武器よりも凶悪な威力を持つその五指を開いて俺に掴みかかってくる。俺は剣を横に寝かせてその攻撃をなんとか防御、素手で刃に触れてもダメージ判定ひとつない奴に軽く驚愕しつつ後退、距離をとる。
 奴を近づけるのは危険だ。
 コウは空中に浮かんだままニヤニヤしている。
 俺は懐から消費アイテム《雷晶榴弾》を取り出し、そこに錬金術を施す。上位スキル《サンダーウエポン》が発動し、俺の手の中に暴れ狂う雷の剣が発生した。
 そんな俺の姿を見ても、奴は眉ひとつ動かさない。
「はいはい、カッコマンのセコ技は大したもんですねい」
「お前こそ。大した役作りだな」
 俺は電子の奔流を鞭のように撓らせ、遠くにいるコウめがけて打ち出す。
 コウは体を横に飛翔させてその鉤爪を回避、さらに追い討ちをかけるように横薙ぎに放った雷を地面に着地することによって躱す。その一瞬を俺は見逃さなかった。
 コウが地面に降りるより一瞬早く俺は地を蹴り跳躍、両手を手についている一瞬の隙に上段からカッサンドラを振り下ろす。このタイミングでは浮遊術による回避もできまい。刃の先端がコウの髪の毛に触れ、あと紙一重で脳天を両断するかと思ったその時。
 コウの姿が掻き消えた。
 俺は勢い余って地面に激突、体勢を崩しそうになるのを剣を投げ出してどうにか防ぐ。まるで今までそこにいたことが嘘のようにコウは消えていた。
「バーカ。バカすぎー」
 声に振り返ると、見上げる高さに、奇術師が浮遊していた。両腕を組んで、まるでずっと前からそこにそうしていたかのように。
「なにいっちょまえに悔しがってンの? あんたすっげーカッコ悪いぜ」
 瞬間移動(テレポーテーション)
 存在しないはずのジョブの、存在しないはずのスキルは、自らの座標を一瞬にしてずらし、空間と空間を繋いで渡る超能力。
 空中浮遊(レビテーション)と並んで奇術師の超人ぶりを表す特殊技能だが、奴の綽々ぶりに反してこのスキルは奇術師が封印された主原因とも言うべき、禁忌の技である。
 呪文も含め、普通の人間の脳には『空中に浮け』だとか『あそこに移動しろ』などといった命令を司る部分が、もともと存在しない。人間にできるのは筋肉の収縮と、せいぜい間接的な脳内薬物のコントロールくらいでしかない。もともと人間には有史以来空をプカプカ浮く能力など存在しないのだから、これは当たり前のことだ。だから、普通ならこんな技は実現しえない――いや、してはならない。
 もし人間が仮想空間なり何なりで『空の飛びかた』を会得してしまったら、その脳を現実空間に持ち帰ったときに大きな齟齬をきたす。通常起こりえない命令を発する脳は、神経回路の混乱を引き起こし――
「それだけの技があったんなら、ドラゴン相手に早く使ってほしかったね」
 俺は思考を中段し、空中の奇術師に向かって軽口を叩いた。
「その余裕はどっから来るのかなぁ。ぜひとも知りたいなぁ」
 チキン・ボーンは言い――言い終わるか言い終わらないかの瞬間、俺のすぐ横に出現していた!
 人造生命体の外骨格さえも破砕する手刀が翻る。俺は手甲で防ごうとしたが間に合わず、二の腕から肋骨、胸板までにかけて、素手で剪断されていく!
「がああああああああっ!」
 防御の間に合わない横からの一撃に俺は吹き飛び、二度ほど床に叩きつけられて回転する。物理的痛みこそないものの、外装への負担過多で、操作を一部受け付けなくなる。
「あああ、とうとうオシッコちびっちゃいましたか、ユノーユちゃん?」
 俺は動かない右腕を押さえ、奴を見据えたまま自己診断を下す。
 体力は残り僅か。次に攻撃を受ければ、確実に死ぬ。今必要なのは――操作回復のための時間稼ぎ。
「ふん」
 俺はわざと挑発的に、奴を見返してやった。
「ずいぶん派手に改造したもんだな、チキンボーン。そんなにこの世界で強くなって、嬉しいか?」
「あン?」
「全部お前が言ったことだ、ハッカー坊や。この世界では成し遂げることにも作り出すことにも、いっさい意味がない。単なる数字の羅列を自慢して、そんなに嬉しいか?」
「――はっ。アンタみたいななんちゃって勇者くんに言われたくないね。AI操作のモンスター相手にガッツポーズ決める暇があったら、現実(リアル)をちっとは頑張れてんだ、この×××野郎」
「――内気で献身的なコウは、すべて演技だったか?」
「お? ショック受けてやんのか?」
「……別に。下らない茶番にあれ以上つきあわされなくて安心してるよ」
 大嘘だった。
 あの信頼感は、力を合わせて敵を倒した時の爽快感と団結は、すべて嘘だった。俺の勝手な思い込みに過ぎなかったのだ。
 もうひとつの現実では、誰もが自分の望む姿に変わることができる。だからこそ、多くの人はここで少なからず自分を偽り、誤魔化して、他人から鏡映りのいい自分を演出している。
 コウの二面性を、誰も責めることなどできない。
 俺も――
「はァん、その様子だとちょっと泣きそうだな。安心しろ、アンタがいるのはそういう所なンだからよ」
 俺の心を見透かしたような顔で、チキンボーンは言った。
「アンタがずっとご執心の売女のチハルちゃん、あいつの正体は40も近いオッサンだ」
 一瞬、目の前が真っ白になった。
「このたびの遠大な冗談を計画するにあたり、ターゲットのあんたの周りで都合のよさそうな奴がいないか探しててね。危険がないか調べるために会社(ディース)のデータベースに侵入してクレジットカードから当たったから、確実だよ」
「……そうか」
「面識作っとくためにさりげなく接触したが、ありゃ真性のネカマだね。もう末期だ。今日び声紋を変換するプログラムなんかはスゲェ精密なのが次から次に出てるから、あんたが騙されるのも無理はないけど」
「――だから」
「あン?」
「だからどうした?」
 俺は立ち上がった。
この世界(ヴァーチャル)で誰がどんな役を演じてようが、誰も文句を言えやしないし、文句を言う資格もない。俺たちは醜い部分をいつも隠し、さわりのいい、見てくれのいい部分だけ表を向けて、いつも生きている。いや、それは現実(オフ)でさえ何も変わらない。同じ事を飽きもせず繰り返してるだけだ。人間は、そういう――弱い、生き物なんだ」

 俺は自分自身の言葉に励まされるように、奴を見上げた。
「誰もあんたの講釈なんか聞いちゃいねーよ。糞食って死んどけ」
「お前みたいな、コミュニケーションの一切を否定するようなやり方も、ここでは――ある意味では、正しい。誰もが会ったこともない他人だからこそ、感情の衝突による利害関係がおおよそ発生しない場所だからこそ――お前みたいな態度も、許されるんだ。両極端だがな」
「聞いてねーよ。死ね」
「この世界では、人間と人間の距離が果てしなく遠い。――だから、痛みがない。他人を知らず傷つけ、知らず傷つけられることもない」
「五月蝿い。死ね」
「この世界では、人間と人間の距離が果てしなく遠い。――だから、絆がない。いくら歩み寄ろうとしても、そこには虚飾と演技で塗り固めた、厚い厚い壁があるだけだ」
「死ね死ね死ね」
この世界には何もない(・・・・・・・・・・)。手の届くところに、人間は誰もいない。なのに皆はそれに気づかぬふりをして、それもありなんだと自分を誤魔化してここに来る。当たり前だ――ここには、真の意味で自分を傷つけることのできる人間は、一人もいないんだから。だからこそ離れられない。だからこそ仮想を求める。何の見返りもないのに」
「死ね死ね死ね死ね死ね」
「仮想現実はしょせん仮想。現実の代替にはなり得ない。『喜怒哀楽の提供の場は、安価な仮想現実に席巻されるだろう』としたり顔で説いた評論家がいたが、俺はそうは思わない。ニセモノが本物に勝つことは、永遠にありえない」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「だから――もう、こんなこと、終わりにしよう」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねェ!」
 俺は駆け出していた。
 剣を下段に構え、体勢を低くして、弾丸のように駆け抜ける。
「おおおおぉぉ!」
 俺は跳んだ。
 チキンボーンは面白くもなさそうな顔で両手を振り、白刃取りに剣を受ける。俺はその状態のまま怯むことなく詠唱を開始、剣先に《多重結晶(クラスター・クリスタル)》を顕現。伸びる剣身が奇術師の胸板を貫く瞬間、その姿が幻のように掻き消える。
 俺は空中で体をひねりながら、後方に出現した奴の位置を確認していた。
 後ろ向きに護符のついた短刀を投擲。チキンボーンは再び霞のように掻き消える。
 次に出現するポイントを見極め、俺はニヤリとした。
 そこに出ると思ったぜ!
 俺は《多重結晶》を二重展開、さらに厚みと長さを増した超巨大刀を振りかぶり、現れた奇術師の上方から叩きつける!
(――だれもが偽の自分を持っている)
(――この世界では誰もが他人を騙している)
 その言葉が、俺にひとつの啓示を与えていた。
 移動直後の連続テレポートはできないらしく、両手を頭上に掲げてその大剣を受け止める。だが、活性化護符と重力で速度と威力を増した強撃は勢いを止めず、そのまま奴を地面に叩きつける。
 そしてその下にいるのは――グレイ!
 チキンボーンは両手を防御の格好にしたままグレイの上に叩きつけられ、わずかに舌打ちをする。だが、俺の真の狙いに気づいたのはその直後だった。
「チッ、痛ぇなこの糞力ヤロ……なっ」奴の顔に、はじめて狼狽に近い表情が浮かんだ。
「ユノーユさん……よく……やったッス……!」
 死んだはずのグレイが、両手を回してチキンボーンの体を縛っている。
「バカなッ、う、動かねえ」
 その太い腕に掴まれた体は、いくらもがいてもその意に反して少しも脱出の気配を見せない。
よく見ると、グレイの拘束している腕の周囲に、いくつもの金色に輝く光の筋が走っていて、それが奇術師の肉体、のみならず一切のスキルを封じているのだ。
「お前のために作った、捕縛装置(キャプチャー・デバイス)ッス……! ここからは絶対に逃げ出せないッスよ……!」
「なッ、お前は、ただの初心者……のはず……! 何故だッ、一体」
「観念しろ、ハッカーボーイ。ついに年貢の納め時だ」
「なにィ……!?」
 俺は着地してそちらに歩み寄り、なんとか逃れようともがく奇術師を見下ろした。
「もう少しグレイの素性を丹念に調べておくべきだったな。セカンドアカウントの可能性は考えなかったのか?」
「さすがッスね、ユノーユさん……!」
「さっきの種明かしと同じだよ。このイベントは、最初から不審な点が多すぎた。いくらお前が特A級のハッカーだろうと、今回のイベントはあまりにお膳立てが揃いすぎている」
「ど、どういうことだ――」
「会社側は、はじめからこの下らない遊戯を阻止する気はなかったのさ」当然のような顔をして、俺は続ける。「むしろ、できるだけ事が順調に運ぶように、荒波が立たないように、協調して事を運ぼうとした気配さえある。そうでなければ、村のNPCや、公式告知なんかの説明がつかないからね」
「な、なぜそんなことをッ」
「簡単さ。会社側はとっくに見抜いていたんだよ。お前の陰謀をな。だが、肝心の本名が分からなかった。犯罪者チキンボーンのアカウント、つまり本名を知る必要が、会社にはあった。そして、お前を炙りだすために、気づかないフリをして泳がせていたのさ。お前は俺たちを罠に嵌めるつもりでいて、逆にまんまと罠に嵌まっていたんだよ!」
「な……」
 チキンボーンは絶句した。当たり前だろう。
「そこまで考えれば後は簡単だ。お前がノコノコ正体を現して、事の顛末をペラペラ喋るのをずっと待ってればいい。幸いお前は愉快犯主義だったから、幕引きのない演劇など好まないと踏んだんだな」
「その通りッス」
「途中で会った射手がGMじゃないか、ということは前に話したな。そうでないとイベント用マップの中階にいきなり現れることはできない、と。だが、なぜ?
 答えは簡単だ。お前のシナリオを崩す可能性のある、ひいてはこの茶番を台無しにする可能性のあるPKの銃操士を消す必要があったのさ。それも、お前に悟られないように正規の戦闘で、な。――そして、奴が真のGMではないということも容易に察しがついた。なぜなら、GMにとって最も大切な任務とは、俺たち3人の中から犯罪者チキンボーンを見つけ出すため、その動向を監視する、ということだったはずだからだ。異分子を潰すなんてどうでもいい任務は、同僚か助手にでもやらせたんだろう」
「じゃ、じゃあ」
「そう。今お前を縛ってるグレイこそが、この448番ホストの神、すべてのPCを支配するGM(ゲームマスター)だ!」
「……そんな……!」
 チキンボーンはさすがに言葉を失ったようだった。
「オレたちはずっとチャンスを窺っていたッス」と、グレイ。「サンディ城事件で会社の信用を一気に貶めたハッカーの正体を、ずっと追っていたッス。
 今回のイベントはそもそも、本当にホスト600突破記念として普通に行うはずだったッス。しかし、オニキスの塔をはじめとするいくつかのイベント用データを盗まれた形跡が発見され、手口などから前回巷を騒がせたチキンボーンの犯行らしいと分かったあたりから、我々はこのプロジェクトを計画し、準備を行ってきたッス。
 あいにく当のチキンボーンがパーティーのうちの誰なのかは見当がつかなかったから、GMのオレが代表としてパーティーに潜り込み、今まで様子を見ていたッス。でも今になって外装が操作不能に陥るとは、ちょっと予想外だったッスけど」
「そういうことだ。こうやってIDがバレた以上、刑事告訴は避けられない。神妙に御縄につくんだな」
「――うああああああああああああ!!!」
「ご協力感謝するッス、ユノーユさん。今度また、どこか一緒に旅に行きたいッスね……」
 そう言って、グレイは消えた。チキンボーンも、そのまま消滅した。
 そして、俺も消失した。






   ―AFTERWORD―
 ――この世界には何もない。
 だから、誰もが安息を求めてここへ来る。
 以上が、この事件の全容、私が経験したすべての事件、その顛末である。
 サンディ城事件を含む一連の事件の顛末は、誰もが傷つき、悲しみしか生まない惨憺たる結果をもたらした。このテキストが世に出るにあたって、私はひどく悩んだことをここに告白する。それは何人かのプライバシーを踏みにじる行為であったし、非情に私事ではあるが私自身、錬金術師ユノーユに少なからざる愛着を持っていた。剣士ヴァイザーの二の舞にはさせたくなかったのだ。
 だが、このテキストをアップしてよりすぐに、いくつものメールを頂いた。その多くは励ましの、あるいは共感のメッセージであり、このような惨事を少しでも減らすために世にこの事件を知らしめて欲しいとの要望の声も多く、このような正式発表に到ったわけである。無論、会社側からの許可は頂いており(半ばなし崩し的な認可ではあったが)、私としても胸をなでおろすばかりである。
 ご存知の通り、(くだん)のディース管理サーバー不法侵入事件はいくつかの専門雑誌でも取り上げられ、一時は一般の紙面をもにぎわすほどになった。だがいずれ、風にさらされ朽ちていくように、風聞から忘れ去られていくだろう。だが、少なくともこれを読むあなたは、覚えていて欲しい。
 仮想現実ごときに、人間を御することはできない。
 しかしまた、一つの部屋で満足できるほど、人間は無欲でもない。
 今は過渡期だと、私は考える。
 いずれ科学がさらなる飛躍を見、それが仮想現実世界にいっそうの発展を齎した時なにが起こるか、それは私の想像の範疇ではない。だが現代のように、現実(オフ)を第一とし、安易な仮想現実に(文字通り)(うつつ)を抜かすことを完全な悪であり怠惰であると見做す考え方がその時までしぶとく生き残れるかと問われれば、それには疑問符をつけざるを得ない。古来より怠惰こそを究極目的として働いてきた人間たちにとって、無駄なエネルギー消費もなく快楽や爽快感を得られる仮想現実は、言うまでもなく魅力的過ぎる毒餌だからだ。

 現実を見よ、仮想世界に逃げるな――などという無粋なことは、私は言うつもりはない。
 だが、人間が仮想現実にまでその生活範囲を広げた時、いったい何が起きるか。それは私ごときには、予想することもできない。
 二面性の怪物であるコウが大量に生まれるのか。
 マトリックスの仮面の裏側に潜む刃に、また誰かが傷つくのか。
 それは誰にも分からない。
 そして知ることに意味もないのだろう。
 仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)は明らかに世界と一線を隔し、それでもなお現実の映し身(アバター)であるのだから。


追伸
 その後エルフ魔導士のチハルとは会っていない。コウの前では偉そうなことを言ってみせたりしたが、気持ちの整理をつけるための時間が、どうしても必要だったからだ。
 だが、もしこれを見ていたとしたら。
 チハル。
 あの言葉は俺が間違っていた。――よく、分かったよ。
 また、いろんな場所を旅しよう。
 この前グレイからメールが届いたよ。会社に内緒で特別ダンジョンを用意したそうだ。
 また、みんなで、旅に出よう。
 待っているよ。


4/28    《アルテミスの音》著者、錬金術師ユノーユ、あるいは《篭絡のサンディ城》著者、剣舞士ヴァイザー
 陽のあたる、大学キャンパス構内にて

《了》

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