1 砂上の牙城
銃声が聞こえた。
把手に手をかけようとしたとき、扉の向こうで確かに、乾いた音が響いた。 さらに続いて、
硝子の砕ける甲高い音。
それの意味するところを知り、俺は驚きノブを押し開け、弾くように室内に駆け込む。
その向こうに佇んでいたのは、並べられた執務机、ちぐはぐに列
ぶ
丸椅子、そして窓際に身を預けるように倒れる白衣の男と、醒めた目でそれを見下ろす、ふたりの男だった。
倒れた男の眉間から赤黒い血液が溢れ出ていること、さらに傍らに立つ男のひとりの手にある回転弾倉火薬銃が、いまだ薄い白煙を上げていることに気づいた刹那、俺の視界が真っ白に灼熱した。
こちらに振り向いた二人の男たちは、かすかに狼狽の気配を漂わせる。拳銃を持ったほうの男が、慌てて銃口を俺に向けた。
「誰だ!」男が怒鳴った。
「何してやがる
んだッ!」俺はさらに強い声で怒鳴り返していた。
後ろの方の男が、拳銃を持った手を遮るようにして前に出る。この場に似つかわしくないほど
怜悧な表情だ。口元には笑みさえ浮かべている。
「何だ、ティガ君か」男は落ち着き払った声で言った。「すまないが、見ての通りだ。悲しい意見の食い違いから、大切な仲間であるスーウェイ君が死んだ。残念だが、避けようがなかった
んだ。無論、このことは
公にしてはならないよ。君が黙ってさえいてくれるなら、我々としても寛容な態度で臨もう。分かるかね? 君が自分の立場と利害計算の出来る男なら、私たちとしても乱暴な方法は――」
「マッドサイエンティスト」腹の底から声が出た。「スーウェイ博士が何のために、危険を承知で情報を俺たちに流したか分かるか。あんたらの暴挙を、人間の尊厳を踏みにじる行為を、これ以上見てられなかったからだよ!」
「俺たちを、だと? 貴様、何を――」白衣の男は刹那の逡巡の後、顔を硬直させた。「まさか貴様、スーウェイが呼んだ――!」
俺は一歩を踏み出し、室内へと入る。男は狼狽し叫んだ。
「う、撃て、バル! 早く、早く奴を殺せ!」
遅い ッ!
俺は脳内のニューロチップを起動。たちまち全身を駆けめぐっていく奔流が、俺を超人へと変化させる。
止まって見える。轟音と共に火薬銃から放たれた鉛玉が、螺旋運動をしながらまっすぐこちらへ飛来してくる姿が、まるでコマ送りのように。
俺は飛燕の速度で首を振ってそれを回避。耳元を弾丸が
疾り抜けていき、背後の壁に弾痕を描いていく。
男が第二弾を撃とうとするより疾く、俺は床板を踏み割って跳躍。踵の下でリノリウム張りのタイルが粉々に砕け散っていくのを感じながら、机と椅子を飛び越えて天井近くまで上昇!
俺は体を半回転させ、天井に上下逆に着地。さらに薄い合板を蹴りつけ破砕し撞球のように多段跳躍、窓枠を掴んでそれを支点とし、横薙ぎの鎌と化した脚を火薬銃の男に叩きつける!
空気の唸りを上げながら脚部の特殊装甲が銃の金属構造を捻り潰し、易々と折り取っていく感触が伝わる。その勢いのまま、男の突き出された両腕を縦から圧搾。骨が砕け散る音を残して男は後方の壁に叩きつけられた。おそらく即死だろう。
「まさか、
生体改変兵か……!」
俺は少し離れて着地。残った男が驚愕と共に口にしたその名こそ、俺たちに冠せられた異名だった。
生体部品を金属や有機マシンで置換、脳内・血管内のナノサイズニューロチップが生体としての限界を超越させた、現代のスーパーマン。それが俺たちだ。
「く、くそっ」
男が慌てて懐から取り出した拳銃をこちらに向ける。反射的に躱そうと身を捻るが、俺は視界の端で倒れたスーウェイ博士がかすかに指先を動かせるのを捉えた。まだ生きている!
男が引き金を引き、撃鉄を落とす。銃口から摩擦音を唸らせて、褐色の弾丸が撃ち出される。その様子まではっきり感じられる。
俺は一撃目の弾丸を、首を捻って回避。二撃目は手の甲を翳し、皮膚の上を弾丸が滑っていくに任せる。
俺たちの皮膚を構成する特殊繊維ワイヤーは、HEAT弾の直撃でも食らわない限りあらゆる物理的侵食を許さない。弾丸は回転摩擦で皮膚表面に摩擦熱を奪われながら、軌道を変え虚しく飛び去っていくことしかできなかった。
「ひっ……!」
俺は反撃の拳を繰り出そうとしたが、再びスーウェイ博士が苦しげに身じろぎするのを見て、そちらに注意を逸らしてしまった。その隙に男は手の拳銃を投げ捨て、奥にあった扉を体当たりするように開けて逃走する。
追うか?
――いや、こっちが先だ。
俺は逃げ去っていく男を無視し、倒れる白衣に走り寄った。床の赤黒い血溜まりでスーツが汚れるのも無視だ。
「大丈夫か!」
「か……は、す、すまない、最後の最後で、甘さが、出た、ようだ。やはり彼らも、人の、子」
スーウェイ博士は誰がどう見ても瀕死の重傷だった。一撃は肩口、もう一撃の弾丸は頬骨から内耳の上をえぐるように穿孔し、頭蓋骨あたりで停止している。この
夥しい出血量からして、おそらく持ってあと数分。
「喋らないで! 心配するな、奴らは俺たちが必ず止める。他にも仲間がいるんだ。だから、もう」
「いい、ン、だ」顎の骨が破砕されているため、博士の必死の叫びは軋みにしかならなかった。「わタし、も、少しは、罪を、つぐなわ、ネば――かはッ、ごふっ」
「頼む、これ以上出血が続けば――」
「ディス、ク、は?」博士が声を振り絞って訊ねる。
「見つかったよ」俺は励ますようにスーウェイ博士の手を握ってやった。指先から次第に冷たくなっていくのが分かる。それを少しでも先延ばしにと願うように、俺は無骨な手を強く握りしめた。「ビネがいつも
抱いてたクマのぬいぐるみ。あの中に隠されていた んだ。灯台下暗しって奴さ」
スーウェイ博士はしばらく驚いたように目を見開いていたが、やがて半眼になり薄笑いの唇で、そうか、とつぶやいた。
「ビネが、あのおチビちゃんが、そんな大事なモノを持って、たトは、ね」笑いながら、博士の腕の力が抜けていく。瞳の光が消えていく。「たイした、伏兵、だ、あとでおシオキを、しな、――」
――――。
沈黙。
目を強く閉じ、また開く。膝まで濡らす鮮血の中で、俺は
瞋恚の炎に身を灼かれていた。
多分こうなることは、俺にはわかっていた
んだろう。スーウェイが内部告発のため俺たちに接近したその時から、俺が偽装潜入員としてここに現れたその時から、決定していたこと
なんだろう。それでも腹を焼くこの不条理な怒りは、何のためのものなのか。
答えは、自責は後でいい。自分を責め業苦に苛まれるのは、このヤマが終わってからでも十分できる。今は――
俺は立ち上がり、白衣の男の、背信者の逃走したドアへと体当たりした。本来は開かない側の
蝶番が軋んで外れ、醜い通路を晒す。俺はそれを力ずくで押し広げ、隙間を抜けて疾走する。
無機質な廊下が、白々しい蛍光灯が、なんだかやけに刺々しく見えた。このビルには悪魔が
棲んでいる。部屋の隅にも、この角にも、あの廊下のつきあたりにも、そこら
じゅうに――
(こちらティガ、こちらティガ。ジエルド、エスク、聞こえるか?)
俺は脳内デバイスを操作してT・T通信を起動。このビル内にいるはずの仲間達に呼びかける。
(こちらジエルド。なんだいティガ君、忘れ物かい?)
(こちらエスク。まだこっちには動きがありません。まったくガードが堅くて――)
(すまない、みんな。緊急事態だ)俺は内心の
忸怩たる思いを噛み殺して、非業の事実を告げる。(スーウェイ博士が
殺られた)
(何!?)
(どういうことです!)
(犯人はティエルンとバルバッハ二人だ。おそらく密告が連中に漏洩した
んだろう。バルバッハは処理したが、ティエルンを逃がしちまった。多分今頃、所長のとこに 行ってる頃だ)
しばらくの沈黙の後、ジエルドの通信が耳の奥に
谺した。
(――了解。叱責はあとだ。僕はメインコントロール室に行って各部屋をロックしよう。記録素子もチェックしてみるよ。研究員達が快く協力してくれればね。――まったく、大した役回りだ)
(僕はオーギュス隊長と本部に連絡を入れてみます。ひょっとしたら何か新しい情報が
入ってるかもしれないし。銃撃戦も想定して、
移動特火点を2機用意させときます、念のため。あと、さっき見たら所長室はカラでしたよ)
(分かった。悪い)
俺は通信を終了させ、冷たい廊下を走り抜ける。俺の脚力に耐えきれず、床面のタイルが悲鳴を上げる。曲がり角を
飛燕の速度で駆け抜けようとしたとき、歩いてきた研究員とわずかに接触して転倒させてしまったが、それも無視だ。さらに速度を上げ、渡り廊下を駆け抜ける。
奴らが緊急事態に集合する場所といえば、十中八九あそこしかない。別館の地下低温研究室と輸送倉庫だ。
俺は頭の中にこの建物の地図を叩き起こし、自分の位置を確認しながら疾走する。
――今のうちに状況を説明しておこう。
俺たちが今追っているのは、現在ダリダ州を中心に世間を騒がせている『笛吹き男事件』の実行犯集団。それも大企業を隠れ蓑にした、巨大な犯罪組織の一角だ。
苓歴193年、ダリダ州ダリウスの都心部で、誘拐及び行方不明者が往年の8倍に激増する現象が発生。国際関税撤廃による国外人口流出説、ティータ彗星異常接近による人体影響など諸説まことしやかに囁かれるなか、行方不明者の調査をしていたイソール警部補が、不明者の大部分を浮浪者、終身刑服役囚、加えてある組織の関係者などが占めている事実を突き止め、組織的な集団誘拐事件として捜査本部を設立。もし事実だとすれば、人間を用いた何か大がかりな犯罪が水面下で進行しているのではないか、と当時の新聞記事は結んでいる。
そして同年、ダリダ州イセリアの田舎町で、『誘拐されて逃げてきた』と少女が派出所に転がり込む。少女の供述で、犯行
集団の研究施設の組織名、及び活動拠点のうち13箇所が明らかになる。さらには極北からの子供密輸ルートとの関係も噂される、とその記事には書いてあった。まったく世も末だ。
そして俺たちが特派員に偽装して潜入調査をしている、いや、していたのが、連中の14番目の拠点施設だ。
奴らの名は“
白銀の天使”。正義と
頽廃、そして
閉じた円環ネイ=アヴルドラを表す、白聖書に出てくる
神の使徒の名。その実態は、何百年も前から
国際生物化学倫理法で厳重禁止されている、人体実験を基礎とした生命構造の解明を旨とした違法組織だった。
連中の手口は卑劣だった。すでに制圧された13の実験室からは、脳内細胞の放射線照射による影響、神経ニューロンの疑似培養、別種DNAの部分劣化合成など、多岐にわたる実験レポートが没収された。それらはどう考えても、人体を用いた実験をその基礎実験としているとしか考えられないような類の研究ばかり。――さらに、突入時に記録された映像には、培養器の中に浮かぶ脳と視神経、脊髄だけがむき出しの少女や、外部骨格に脳だけ取り出され分解され、神経と血管系が地面を這っている男など、人間の所業とは思えないほどおぞましく見るも無惨な姿に変えられた、拉致被害者たちの末路があった。さすがに写真は情報操作の結果もあり
巷間に流布しなかったが、この前代未聞の事件に、当時の記者会見で
自警の幹部は最後にこう語っている。“これは偉大な創造主に対する侮辱と
冒涜であり、我らを作り給いし神への明らかな背信である”、と――
だが、世間を震撼させた奴らの根の深さは、そんなものではなかった。相次ぐ検挙の中にも、上層幹部の一部、特に好戦派、過激派で知られるバルバッハ、ジライア、ヴァヴァ、ティエルンは巧く難を逃れ、この研究施設に逃げ込んでいた。その内部調査と、組織の一斉壊滅が、建前上俺たちの出動任務。しかしそれは表面上の理由、あるいはその一部分でしかない。
誘拐被害者のリストに、俺たちの組織に属する要人の名があったからだ。
そもそもの事の発端は、ある匿名のタレコミ情報からだったらしい。
とはいえ、情報源はだいたい分かっている。情報屋のハックスか、
お告げ巫女のマグノリアだ。彼らは社会的に疎外され疎まれながらも、情報の見返りに生活を保障されている。捜査に貴重な助言をすることもある。必要悪はやはり必要ということだろう。
とにかく、そのタレコミによれば、一連の事件の首謀組織と見られる非合法組織、通称“
白銀の天使”の残党組織に、拉致被害者がまだ数名いるという。ジケイの捜査員達による地道な現場捜査によって、表だって活動している所属組織のほとんどは壊滅したが、それは氷山の一角にしか過ぎなかったらしい。穏健派や慎重論者は未だ各地に根強く残っており、何らかの理由で誘拐された人々が解放されず
残っいるというのだ。しかもその中の一人に、俺たち生体改変部隊の研究開発やメンテナンスを行う研究機関の所属研究員がいる、という情報が流れてきたのが、つい先月の末のこと。
研究員の名はソルヴェイルルク=ギ=ローツ。29歳の若さにして俺たちの母体である研究組織のひとつ、有機ナノマシン研究開発部の顧問研究員を務め、特に神経接続分野で技術革新に貢献してきた。おそらく彼がいなければ俺たちを構成する生体改変技術は現代に結実しなかったであろうとさえ言われている。
その男が、生命倫理に抵触するような研究所で、一体何をさせられているのか?
俺たちは調査の末、ローツ博士がここで監禁され、監視状態下にあるという情報を得た。彼の研究分野からして、おそらく何らかの研究に従事させられているのではないかと予想されている。そのため強行的な選択もできず、博士の身柄確保と内部構造の把握が完了するまで、俺は“クーンツ光機の派遣員”として、ジエルドとエスクは“カッツ応力建築のアドバイザー”として、身分を偽りここに潜入していたのだ。
内部にも協力者がいた。かなり初期の段階から研究に荷担してきたらしい、有機体管理部門のスーウェイ博士だ。専門はナノスケール有機マシン分野。毎日窓際のサボテンに水をやるのが日課の、人のいい優男だ。――いや、だった。
おそらく、奴らをココで止めなければ、秘密の漏洩を恐れて施設そのものを爆破するだろう。そうなればローツ博士も、スーウェイの献身も、真実もすべて闇の中だ。一刻も早く奴らの暴走を阻止しなければならない。
俺はそこで思考を中断し、傍らの窓から眼下の景色を一瞥した。その視線の先には目的地の、ユライオン重素子化学ビルの別館、地下低温研究室の、円形ドーム状をした巨大建築物が鎮座している。
視覚レンズの分解能を上げて周囲を確認、建物表面を凝視すると、見える位置に一箇所、明かり取りの窓が開いている箇所が見つかった。おそらく研究員のロッカールームだろう。ここからの距離はおおよそ30メートル。
俺は窓を開けると、窓枠に足
を預け身 を乗り出した。高所の風が横向きに吹きつける。前髪を嬲られながら、俺は桟に足をかけ、全身を乗り出せば、重心はなにもない空中に自由落下していきそうになる。両手で窓枠を掴み、体を固定する。
俺は、足下が丈夫な合金であることを確かめ、全身を
撓め両足に力を込める。脚部に熱が満ちるのを感じながら、浅くひとつ息をすると窓枠を後ろに蹴りつけて飛翔した。
たちまち、俺の体ははるか空の高みにあった。
耳元を空気の塊が凄まじい速度で駆け抜けていく。体を支えるものは何もない。肉体は重力の
楔から解き放たれ、どこまでも青く虚ろな空の中を弾丸のように飛翔していく。足下の遙か遠くに茶褐色をした剥き出しの腐葉土が見える。
数分もの出来事のように感じたが、実際にはそれはわずか数秒のことだった。
放物線運動の終着点、計算通りの位置に、空に向けて開かれた窓がある。俺は空中で体を捻り体勢を直し、落下の衝撃に備える。鋼鉄の外壁が、落下に等しい速度で俺の眼前に迫る!
俺は両手で迫る窓枠を掴み、わずかな隙間に体を滑り込ませた。落下の速度は回転運動量に変化、高速度で室内に流れ込む! 薄暗い部屋、驚愕に口を真円にした白衣の研究員が、視界の隅に映った。
俺は受け身を取り、硬質の床に転がる。運動慣性は減殺されず、木組みの机を吹き飛ばし紙片を吹雪のように撒き散らしながら壁に激突!
樫の机の脚が折れ飛ぶ音、書類の散乱する音と、俺自身の激突音、さらに隣にあった背の高い書類棚が鷹揚なまでに悠然と倒れ、中身の本や書類をぶちまける倒壊音とが不協和音を奏でた。
さすがに目の奥に火花が飛んだ。
紙片が飛び散り、机や椅子が倒壊する音が止むと、恐ろしいまでの静寂が戻ってくる。
目眩のする頭を支え、目を閉じて意識をはっきりさせる。頭が平衡感覚を取り戻す頃には、ブレ
ていた視界が鮮やかさを取り戻していた。ひょっとして巻き添えで死者を出したかも、などと思いつつ恐る恐るあたりを窺う。
室内はまるで局地的
暴風雨が通過でもしたかのような凄まじい散乱ぶりだった。机は裏返って折れた脚を晒し、書棚が景気よく本の雨を降らせている。備え付けの鏡が割れあたりに破片が飛び散り、部屋を縦断して壁にぶち当たったらしい
薬缶から白い湯気が立ち上っている。
「おーい、生存者
はいるかあ?」
居ても返事なんかしないよなと思いつつ、恐る恐る俺は声をかけてみる。
すると部屋の奥、白い書類の
堆い山脈の中がもぞもぞ動いたかと思うと、ボサボサ頭の研究員が中からのっそり起きあがった。
「なんだ……僕に何の恨みが? 愉快な飛び降り自殺なら、
余所でやってくれよ」
「悪い」
俺は顔の前で手を合わせた。
「む、誰かと思ったらティガじゃないか。
いつもいつも騒々しい奴だな。最近はそんなに紐なし
降下が 流行ってるのか? でも
他人のロッカールームにダイブするというのは初耳だ。流行の最先端だな。うん。……あーあ。せっかくの珈琲が台無しじゃないか。また淹れなおしだ。どうしてくれる
んだ、まったく。最近の派遣員は、飛び込む部屋も選べないのか。僕の尊い朝の時間を返せ。返せったら返せ」
研究員はひとりで勝手に勝手なことをもそもそ呟いて起きあがった。
さすがにここの研究員は肝が据わっている。というか、変人揃いだ。
いまい ち事態が掴めているのか掴めていないのかよく分からない男が起きあがるのを見ながら、そういえば俺もこんなことを
してる場合じゃない んだと思い至った。
「悪い、テトテベス。
急いでるんだ。後で手伝う」倒壊した机の下から抜け出して俺は言い、ふと思ったことを言ってみた。「そういえば、ティエルンを――ティエルンさんを見なかったか?」
「ああ? そういえばさっき、やたら急いで事務を出
てってたのを見たよ。
万能鍵を持って、下のほうに 降りてってたな。なんだか血相変えて。よっぽど何か急ぎの用があった
んだろうな。ふふん、流体実験室のバルブを締め忘れたか、炸薬精製ポッドを開けっぱなしに してたか。いずれにせよあんまり穏やかな表情じゃなかったよ。僕なんか目に入らないみたいだった」
「そうか。ありがとう」立ち上がり部屋を辞しかけて、俺は振り返って言った。「そうだ。ここはじき接収される。早く荷物をまとめて正面玄関に行っといたほうがいいぞ」
呆然とするテトテベスを尻目に、俺は扉を蹴り開けて廊下に飛び出した。
「まったく、最近の派遣員はそんなに忙しいのかね」
背後でテトテベスが呟くのが、疾走する俺の耳に小さく届いた。
紫外線蛍光灯に青白く照らし出される螺旋階段を、俺は一段飛ばしで駆け下りていた。あたりは薄暗く、完全無菌の清冽な空気が鼻腔を刺激する。すれ違う人影もない。もうこれ以上の犠牲者が出なければいいが、と思いながら、俺は目指す輸送倉庫を目指し駆けていった。
おそらくもう十数分で、この施設の周囲は完全に包囲されるだろう。そうすればいくら奴らでも逃亡する手段はない。ただ、倉庫に何か隠し持っていれば、話は別だが。それだけが頭からついて離れない、ただひとつの懸念事項だ。
青白く冷たい廊下を滑り抜けるように走り、つきあたった角を曲がる。
巨大な観音開きの扉が眼前に立ちはだかった。倉庫の入り口だ。高さは優に俺の身長の倍、幅も同程度にある。そのすぐ横の壁にタッチパネル式のキーロックが設置されていたが、施錠する余裕もなかったのかジエルドが遠隔操作で解除しておいてくれたのか、ロックランプはグリーンを示していた。
把手に手をかけ、両腕で押すように扉を開く。
室内は薄暗く、薄気味悪いほどの無音だった。中にはいるとすぐ眼前にまた扉。そして左右にはコントロール用の電子精密器具が立ち並び、ディスプレイの青白い光を放っている。
右手のモニターの前、背の高い椅子のほうにふと視線をやって、俺は息を止めた。
背もたれの横の肘掛けに、腕が預けられている。その紺色の制服と腕章を見て、そこにいる人物が間違いなくヴァヴァ所長――この施設の総責任者、好戦派を束ねる諸悪の総帥――であると一瞬で理解し、俺は動きを停止させる。おそらく何かコンソールを操作しているのだろうが、こちらに気づいた様子はまだない。
好機だった。
俺は音を立てないように爪先歩きでその椅子に近づいた。こちらからは、背の高い背もたれに阻まれて所長の顔までは見えない。だからこそ、こちらに気づいていないのだろう。
ふと悪寒が走る。ひょっとしたら背後に誰か潜んでいて、俺が隙を見せるのを待っているのだろうか? 老婆心から振り返るが、そこには冷たい機器が並ぶばかりだった。俺は視線を戻し、さらに所長へと近寄る。我知らず、動悸が早まった。
俺はじゅうぶんに近づくと背中に挟んでいた黒い
自動小銃を抜き、背を向ける所長につきつける。
「動くな」
所長は答えない。
「ティエルンが何と言ったが知らないが、もうどこにも逃げ場はない。大人しく投降しろ。自慢の擬人コレクションも、命がなくなっちまったら役に立たないぜ」
――だが、ヴァヴァ所長
は返答 はおろか、身じろぎすらしなかった。俺の中で違和感がふくれあがる。
「おい」
俺は椅子の背もたれを掴み、こちらに向けさせた。椅子の支えが回転し、所長がこちらを向く。
――――。
俺の呼吸が一瞬途絶した。
「……ちっ」
俺はヴァヴァ所長から目を離し、歩き出した。T・T通信を意識で起動させる。
(こちらティガ。ヴァヴァ所長が殺害された。たぶん、やったのはティエルンだ)
(こちらジエルド。あの人もついに悪運が尽きたか……こっちのモニターからはティエルンの姿は確認できないよ。近辺の監視状況からして、たぶん第二倉庫だね)
(分かった。今から向かう)
俺は通信を切り、所長を顧みる。悪名高いこの男も、ついに死んだか。
「――
冥獄までのお守りだ。ほらよ」
所長の膝に、ポケットから取り出した銀白色の弾丸を放り投げる。地方の地霊信仰に伝わる儀式の一種で、悪人が冥獄の守衛から身を守るための
咒いなのだが、この男にはお似合いだろう。
銀の弾丸は所長の腿の上、赤黒い血と脳漿の上に落ちて湿った音を立てた。
そこから視線を上にずらすと、血で黒く濡れた服、さらに首から上には、何か大きな力で
握りつぶされたかのように、圧搾されひしゃげて頭蓋や背骨、潰れた大脳や眼球神経をさらけ出し無念の表情でこちらを見返してくる、ヴァヴァ所長の最期の姿があった。
第二倉庫は閑散としていた。機材や駆動車両の類もほとんどなく、広いコンクリ張りの床が剥き出しになっている。上は恐ろしく高く、
蟠った闇のせいで天井までは見えない。周囲を見渡しても、奥にいくつか荷物が乱雑に積まれているほかは、目立って隠れられそうな場所もない。
逃げられたのか?
俺は腰の小銃を抜き、あたりに照準を合わせながら油断なく一歩一歩進んだ。踵と地面とが織りなす無機質な反響音だけが、倉庫の壁に響く。
積まれた荷物を確認していく。最初の荷は使い捨ての輸血パック、注射器ほか医療用具。その下を引き出すと業務用工磁ディスクの束があった。さらに工具用らしい金属パイプや螺子の山、一番上の棚には古くなって使い物にならなくなった電子打ち出し式モニターがあった。どうでもいいものばかりだ。
しばらくその中を引き出しては検分していったが、どれも大して意味があるとは思えないものばかり。人間が隠れられそうなスペースもないし、このテのE級活劇にありがちな、秘密の隠し通路なんてものも当然見つからない。
ここはハズレか? でも他にそれらしい施設はなかったし、奴が前もって逃亡のための用意を綿密に進めていたとも思えない。外部モニターからの記録情報だから、ジエルドの情報にも信憑性がある。
とにかく奥に行ってみようと、俺が振り向き歩き出した、その時。
背後に気配。脊髄が反応し振り返るよりも早く、床を踏み砕く音、さらに右腕から背骨にかけて強烈な横向きの
衝撃。水平に隕石でも落下衝突したような水平方向のモーメントに、俺の足が床から離れ、放物線を描いて数メートル飛行し壁面に激突!
白磁の壁板と縦横に引かれた鉄筋を巻き込み、全身を壁の中に埋もれさせてようやく俺の体が停止。降り注ぐ瓦礫が視界を塞ぎ、激痛が世界を紅に染める。
「ぐっ、は……!」
痛みと衝撃に閉じかかる
瞼を強制的にこじ開けると、大型獣のような白色の両足が、床板にめり込んだ脚を引き抜き、油圧と金属摩擦の重低音を軋ませながらこちらに近づいてくるところだった。
俺は戦慄した。
それは
外骨格戦車の威容。
超硬金属の外装はホワイトチタン、両腕と両足は人類というより亜人種のそれに近く、無数の伸縮圧力器を出力とし両手で抱えられるほどに太い。腕には弾倉と直結した12ミリバルカンが装着されている。人間ならば頭部があるべき部分には、外骨格戦車と神経を繋いだ
禿頭の男が、上半身半ばまで戦車に体を埋めた格好で鎮座している。
全ての箇所を調べ、隠れる場所などどこにもないと思っていたが、まさか天井にぶら下がって好機を待っていたとは。
「ティエルンッ」
「残念だ、ティガ君。君の提案するプロジェクトは、どれも新鮮味があって面白かったよ。それがもう見られないのは、実に惜しい」
戦車と接合したティエルンが鷹揚に笑う。
「そいつで、所長を……ッ」
喋ろうとすると、背中に電流棒でも突っ込まれたかのような猛烈な痛みが走った。苦鳴が食いしばった歯の隙間から漏れ出る。
「ふふん。あの人は所詮、官憲上がりの腰抜けだったからね。我々の崇高な使命を、金儲けのための一時しのぎか何かと勘違いしている節があった。まあ、それなりに有能ではあったが」
ティエルンが機械の右手を掲げると、掌の部分が赤黒く染まっていた。おそらく、アレで所長の頭部を握りつぶし絶命させたのだろう。外骨格の出力ならそう難しいことでもない。俺の背筋が知らず寒くなる。
なんとか第二撃を阻止しようと四肢を奮い立たせるが、完全に右腕と肋骨が数本もっていかれたらしく、激痛が全身を灼くだけだった。力が抜け、間抜けな声が喉の奥から漏れる。
耳骨の奥に埋め込まれた素子から通信が響く。
(ティガさん、大変です! そこの倉庫への納入と使用の出納帳をチェックしてみたら、ちょうど大型貨物一個分のパーツの記入が噛み合わない
んです。密輸ルートからの重火器の可能性もあるので、十分注意してください!)
(そういうことは、早く言ってくれ
よっ……!)
今さら言われても、まったく何の役にも立たない。
眼前に視線を向ければ、関節から動物の鳴き声にも似た油圧の軋みをあげながら、
外骨格戦車と融合したティエルンが悠々とした足取りでこちらに近づいてくるところだった。
いくら俺たちの体が特殊製でも、人間の骨格を一瞬でミンチにする超握力の前では
木偶人形に等しい。あの一撃を頭部か重要臓器にでも一発食らえば、――確実に死ぬ。
足先から、根元的な恐怖が湧きあがってきた。
だが、恐慌で脳内が砂嵐状態になる直前、脳内のナノスケール機械群が自動的に作動した。細胞内のポリモーダル受容器から変換された痛覚の電気信号を、大脳皮質でナノスケールの機械群が逆バイアスをかけて沈静化、即席の鎮痛剤として作用。さらに脳内青斑核のアドレナリン受容器にマシンが取り付き、恐怖心を鎮静させる。俺たちの肉体に恒常的に働く精神安定化作用のおかげで、なんとか恐慌をきたさずに済んだ。
さらに時間を稼ぐべく、俺の唇が自動的に言葉を紡いでいく。
「――分からないな。どうしてアンタたちは、そうまでしてその“使命”とやらに
拘る んだい?
やってることは結局、人殺し、誘拐、詐欺、あとせいぜい違法研究くらいじゃないか」
「相手を逆上させて行動を予測しやすくしようとしても無駄だよ。あと、時間稼ぎも無益だ。いや、だがまあ、君のくだらない言葉遊びにつきあってやるのも悪くないか。なにせ、短期間とはいえ同じ職場で働いてきた仲間だからね。最期の慈悲だと思いたまえ」
「……どうも」
「簡単なことさ。我々人類は今、閉塞の危機に瀕している」ティエルンは熱に浮かされたように揺れる瞳でそう言った。「考えてもみたまえ。これほど愚かな生命が他にあるか? 枯渇資源を食い潰し、他生物を無目的、無制限に絶滅させる。国が違うからとか、人種が違うからとか、信仰する神が違うからとか、そんな下劣極まる理由で殺し合い、互いに数を減らしあう。肩がぶつかったからという、ただそれだけの理由で人が死ぬこともある。さらに低俗なことに、将来に希望が持てないという全く無意味な理由で、自らの命を絶つ決意ができてしまう。明らかに自然の摂理に反した生物だ。そんな生命体が他にいるか?」
「下らないな。使い古された人間批判だ。二昔前の映画ぐらいでしか、そんなこと言う奴はいないぞ」
薄笑いと共に俺の言葉を無視し、ティエルンは続ける。
「さらに悪いのは、愚者たちは自分が愚者であるという自覚がないことだよ。自分たちがなぜ殺し合うのか分かっていない。自分たちの思考の根元が何か、選択の根元が何なのかす
ら理解できていない」
「――それを知ることが、アンタたちの使命だと?」
「我々の理想は、究極の人間を造ることだ。平和を愛し、融和を重んじ、礼節と相互理解を何より重視する。だが、最も大事な要素は、自分という存在の限界を熟知できている、ということだ。つまり――ココのね」
そう言うとティエルンは、自分の頭を機械の指で指し示してみせた。
「脳?」
「そう。それが人類唯一の聖地。個を個
たらしめる、人間を人間 たらしめる唯一絶対の領域。――まさに“約束の地”だよ。だが、神秘をいつまでも神秘のままにしていても、我々は前に進めない」
“約束の地”――それは、白聖書において絶対不可侵の地とされた楽園。“
白銀の天使”とその18人の信徒により暴かれ、不老不死の泉や、奇跡の果実を人々に広くもたらしたとされる、最後の聖地。
「もういい」俺は瓦礫の山に手をかけて身を起こした。「ご高説は聞き飽きたよ。確かに今の世の中、
間違ってる連中はごまんといる。だが、アンタがやったのは単なる人体実験だ。それ以上でもそれ以下でもない。結局アンタは、人間らしい心を持ち合わせてないだけじゃないか。……理屈だけなら誰でも言える。だがな、人間には感情ってモンがある。感情抜きで物事を見ようとするから、アンタみたいな殺人鬼が生まれる
んだ」
「……感情?
感情と言ったか?」ティエルンは
鸚鵡返しにそう呟くと、突然、狂ったように笑い出した。「 あははははは! これはいい。本気で言っているのだとしたら表彰ものだな。感情こそ敵。感情こそ最も忌むべきもの。それに縋るとは、なんという愚行!」
どこか心の
箍が外れてしまったかのように嬌笑する男を尻目に、俺は白い瓦礫の山に手をかけ、負傷箇所を庇いながらも立ち上がった。全身に力を込め、まだ動けることを確認する。
「人類がこれほどに行き詰まった理由を教えてあげようか、ティガ君」狂気の科学者はなおも続ける。「それはね、これだけ高度に文明が発達し、価値観や知識が爆発的に増大したにも
拘わらず、肉体のほうは洞窟に壁画を描いて過ごした古代から一歩も進化していないからだよ。それがすべての元凶、すべての枷だ。この高度に発達した科学文化の中で、服を着た原始人たちは当惑せざるを得ない。怒りも、怯懦も、現代の社会ではただの負の遺産に過ぎないのだから」
「――黙れ」俺の血流が沸点に達した。「それ以上、その腐った口を叩く
んじゃねえ。アンタは先導者でも神の使徒でもない、ただの犯罪者だ。アンタの罪状は、生物化学倫理法違反が18、国際兵器開発定規条約への抵触が8、それにアジェルリア規定違反、さらには公共物占拠、業務上過失致死をはじめとする刑法からの罪状が55で、ついでに器物破損と公務執行妨害。そして、スーウェイを殺し、ビネを利用し、俺を怒らせた。叙情酌量の余地はない。即時断罪」
「愚か者の鋳型か教本のような男だな、君は。――まあいい、来い! 何のために私がこんなオモチャに乗っているか、その身に嫌と言うほど教えてやる!」
言い終わると同時に外骨格戦車の
多銃身回転式機関銃が肉食獣のような獰猛な唸りを上げ、弾丸の
驟雨を降らせてきた。俺は反射的に地を蹴って右に跳躍。ついさっきまで俺のいた空間を鉛玉が貫いていき、背後の壁面に弾痕の列を
穿っていく。
さらに銃弾は俺を追って壁を食い進み、横一列の弾痕の帯を描く。俺は休まず走り続けその魔手から逃れようとする。
俺は逃げながら、無防備なティエルン本体を狙って自動小銃の
引き金を引く。何度か乾いた音がしたが、走りながらの狙撃は照準が定まらず、頑強な外骨格の装甲に阻まれるだけ。その間にも機関銃の放射射撃は続き、12ミリの極大弾丸が逃げ遅れた衣服の裾や皮膚の表面を掠り、その構成表皮を削り取っていく。
くそっ。
機関銃は
獰悪な唸りを上げて俺を追撃してくる。俺は着弾点から少しでも距離を取ろうと、火線と垂直方向に疾走する。だが、
逃げてるばかりでは
埒があかない!
俺は意を決し、奴の立ち位置を確認しながら壁を蹴って三角跳躍。頭を下に、足先を天井に向けて円弧を描きながら縦方向に回転する
死神の鎌となり、敵の装甲に跳び蹴りを放つ!
ティエルンは素早く体を立て直し、外骨格の腕を上げてそれをガード。装甲が衝撃に一瞬
撓み、巨体が沈む。だがその一撃はフェイク。俺はさらに体を反転し回転モーメントによって生み出されたもう一段の踵を、鉄槌のごとく奴の頭部めがけて振り下ろす。
だが、装甲は動じることもなく機械の左手でそれを掴む。ティエルンがニヤリと笑う。ローターの締め付けによる超握力で、掴んだ左足をそのまま握りつぶそうとする。俺の足首のシリコン金属骨格がそれに抵抗して軋みをあげ、激痛が走るが、その一撃もまた囮。
俺は上下逆の格好のまま、背筋をほとんど垂直に反らして掌中の銃口をティエルンに向けた。禿頭の科学者の顔に、一瞬狼狽の色が浮かぶ。いくら超硬合金のボディとはいえ、剥き出しになっている生身の肉体は弾丸の穿孔を拒めるはずもなく、またこの至近距離では銃弾を外すこともない。
ティエルンがなにごとか訳の分からないことを叫び、機関銃を闇雲に乱射して俺を振り落とそうとする。
だが嵐中の船のようなその中でも、俺は外骨格の腕にしがみついて離れなかった。むしろそれが最初からの狙いだった。
どんなに凶悪な意志を持ち合わせていようと、どんなに強力な外骨格戦車に搭乗していようと、所詮ティエルンは多少頭の回るだけの科学者。本格的な対人戦闘に関する訓練や作戦錬成に関する知識が絶対的に不足している。こと接近戦に関しては、ただの素人に過ぎない。
それが敗因と知れ
ッ!
外骨格の拘束が弛んだ隙に、俺は戦車の右手に組み付く。両足で肩を踏み、膝を絞めて二の腕を固定し、肘関節に五指をめり込ませて全身を固定。異形の空中腕ひしぎの体勢に入る。
俺の筋肉が爆発的に膨張する。
「――もらった
ァッ!」
体重を前に、両足を敵の肩に踏ん張り、もがく金属の手首を両腕で掴む。特殊イゼリウム
毅合金の背骨が軋り、ナノチューブ繊維の筋肉が収縮する。同時に脳内出力リミッターが解除、抑制ニューロンによる筋肉無意識抑制を解き放つ。
「ぅうおああああああああああああああああああ
ッ!!」
金属板が奇妙な音をあげ、
白銀の関節がついに限界張力を突破。人間でいえば鎖骨にあたる部分の関節から、大量の油液、金属片、チタン螺子、アクチュエイター制御素子、神経接続レールの断面、さらにはねじ切れたいくつもの金属柱を撒きながら、ブチブチと耳障りな音を立て腕がもぎ取られていく!
ティエルンの絶叫。
もげた腕を抱えたまま、俺は傾きながら自由落下。空中で体制を立て直し、地面に着地する。見上げると、右腕を失った強化戦車が天井に向けバルカンを闇雲に列射した後、抵抗するように大きく
傾ぎ、一瞬動きを止めた後、巨体が
大音声と共に床面に倒壊し衝突するのが、視界の端に見えた。
まだ終わっちゃいない!
俺はすぐさま弾倉を交換し、体勢を立て直そうともがくティエルンの頭部に走り寄る。奴が機体のコントロールを取り戻すより早く、その眉間に銃口を突きつけ動作を強制停止させる。
「チェックメイト」
「ぐッ」
「おっと、動く
なよマッドサイエンティスト。俺の特別製の反射神経のほうが絶対的に速いぜ。あんたには 長い長い査問会が用意されている。こんなところで短い一生を散らしたくはないだろう?」
ティエルンは眉間に皺を寄せて歯ぎしりする。慣れない外骨格戦車との神経接合からくる負担か、額に玉の汗が浮かんでいる。だが、その表情に不可解な色が混じった。
「……ふっ、ふふ」
ティエルンは――笑っていた。
「何がおかしい? ……と言わせたい
んだろうけどな。その捻りのなさには飽き飽きだ。一人で無意味に喋るのは勝手だが、とにかくジエルド達が応援に来るまでは大人しくしといてもらうぞ」
「まず、最後の仕事のひとつを終わらせよう」ティエルンはどこか諦観にも似た笑みを浮かべ、そして続けた。「君たちが探しているローツ博士は、この先の地下低温実験室、その隠し部屋に監禁してある。コードは718842だ。連れて行くといい」
「なに?」
諦めて改心でもしたか。それとも、まだ何か苦し紛れの策を
弄するつもりか。
「当面の命の保証と引き替えに、我々の理論実験の一助となってもらっていたのだけどね。もうそれも用済みだろう。あの頭脳を埋もれさせておくのは惜しい。実験レポートに目を通させてもらったが、なかなか面白い男だよ。君たちの脅威になるのも、そう遠くはないだろう」
脅威? ティエルンの物言いに、どこか
違和感を感じる。ローツ博士はうちの顧問研究員なのだ。
「なぜそれを教える、と言いたそうな顔だね。まあそれも、いずれ分かるだろう。おそらく君が最も早くね。――さあ、残る仕事はあと一つだ。早いとこ終わらせようじゃないか」
動くな、と俺が警告するより早く、耳障りな凶音と共に外骨格戦車の腕が大きく持ち上げられた。同時に足が折り曲げられ、巨体を立ち上げようと駆動ベンチが唸る。
――死ぬ気か!
「止まれ ッ!」
警告だけでは制止は不可能と判断。俺は迷わず引き金を引き、弾丸を連続斉射。接合部付近の腕、腹部に次々に大口径軟弾頭を撃ち込み、真っ赤な暗穴を曝け出させる。だが、それでも巨体の駆動は止まらない!
「ああああああああああ
ァ!」
ティエルンは人間とは思えない雄叫びを上げ、上体を再び起こす。残った左腕を天高く掲げ、巨大質量の大瀑布と化したその上腕を俺のほうに叩きつけてくる!
銃声が一発。
突然訪れた静寂に、その破裂音は
長い長い尾を曳いて余韻を残した。
空薬莢が床に落ち、澄んだ金属音をたてる。
動かないティエルン。動かない俺。 そして俺の手の中で、銃口から鼻腔を刺す白い硝煙が立ち上っている。
それきりだった。腕は振り上げられたまま、二度と振り下ろされることはなかった。
俺は、なぜだか――ひどく、悲しくなった。