怜悧なる背理 -Alter Factor-


掲載サイト:ESSENTIAL  作者:ねざ


 2 怜悧なる背理

 酒場の扉が開けば、乾いた鈴の音が薄暗い店内に響く。
「いらっしゃいませ、魔法使いさん」
 鈍色の空を背景に、木板を軋ませながら足を踏み入れたそいつは、まさに中世魔導師の風貌だった。
  (まなじり) まで優に隠す(つば) の広い三角帽子も、歩くたび飴色の床を舐める裾の長い長套衣(ローブ) も、まるで数千の(よわい) を数える(オーク) からそのまま抜け出してきたかのようにくすんだ朽葉色。ところどころ当てられた継ぎ布が、古代の戦争で厄災をもたらしたという業火を象徴している。
 魔導師はゆっくりと店内を見渡す。その視線はカウンターの奥でグラスを拭く壮年のバーテン、湿気と靴裏を吸い込んで暗い飴色にまで変色した床板と木椅子の上を滑り、無言で杯を傾ける常連の男たちを 一瞥(いちべつ) してから、奥に座る俺たちで止まった。
「よう」
 俺が片手を上げて合図を送ると、魔導師は帽子の鍔をわずかに持ち上げてみせる。
 悠然と、これから何らかの重大な儀式でも始まるのかとも思わせるような足取りで、魔導師は入り口傍の階段を一段一段と降りてきた。古びた木板が軋む音以外と衣擦れの音以外、踵を打ち合わせる 跫音(きょうおん) も聞こえない。
 俺とジエルドは、魔導師が同じテーブルの席に腰掛けるまで、黙ったままそれを見合わせていた。
 魔導師がスツールに腰掛ける。 砂礫(されき) が砕けるような音がした。
「来たか」
 ジエルドが声にならないような声でつぶやく。
「遅れてすまない」
 広い鍔の向こう、魔導師がかすれ声で囁いた。
 俺とジエルドが顔を見合わす。
 謎の沈黙が酒場に落ちる。
 俺はこらえた。こらえた。こらえた。だが、こらえきれなかった。
「……っククク」
「あ、ちょっと何よティガ、そこで笑うんじゃないわよ」
「こらティガくん。僕でさえこらえていたのに、君の方が笑ったんじゃ展開上どうにもならないじゃないか」
 肩を震わせて忍び笑いする俺に、ジエルドと魔導師が同時に非難の声を上げる。
「ああ、いや、ごめんごめん。誰も止めないのかなと思ったら、つい」
「まったく……仮装甲斐のない奴ね」
 中世風の魔導師は、唇を尖らせながら被っていた三角帽子を取り払った。
 アクアブルーの髪を、邪魔にならないよう後ろで詰めて束ねている。尖った 耳朶(じだ) にはギュネイ家の家紋を表す楯の紋章。白磁の肌に、長い(まつげ) 。それが彩るのは、深海を思わせるディープグリーンの瞳。
 ギュネイ・タルタロス=イシュ=ラ=ラミーは、十人中九人が振り返る可憐な美貌の持ち主だ。加えて、過度の中世かぶれのために周囲からあまり理解されない 希有(けう) な性格の持ち主でもある。
「来る途中みんなにジロジロ見られただろう?」
「残念ながら慣れてるわ。それにこの格好で来いって言ったの、あなたたちのほうだし」
 ジエルドの茶々に何でもない顔でラミーが答える。
 いや、実は本当に来るとは思ってなかったんだけど。



「ああ、喉乾いた。おじさん、わたしにもコレ、一杯」
 卓上のエールを指差しながら、ラミーが明るくカウンターに向けて声を放った。
 初老のバーテンは、笑い皺を刻ませたまま軽く肩をすくめた。
「祝杯にはまだ早いんじゃないか? 残党狩りで待機中だろう」
「いいのよ、中休みってことで。第一もう主戦派メンバーは壊滅したし、後は 自警(ジケイ) に任せといても勝手に解決するでしょ。そもそもここにわたしを呼んだのあなたたちでしょう」
「それもそうか」
 俺が肩をすくめると、ちょうどバーテンがカクテルを運んでくるところだった。
 北方シェルー地方原産の白葡萄酒をベースに、深いオレンジのタピタ果実酒、チェルン林檎酒、ライム発泡酒を混ぜたこの店“嗤う飛竜と白い光”亭オリジナルのブレンドカクテル、《曙光》だった。
 ラミーは乾杯もせずにそれを一気に飲み干すと、それで、と切り出した。
「今回はどんなオモシロ処分を受けたの、ティガ伍長さん?」
 俺は苦い顔でカクテルを飲み干す。いきなり来たか。
「女ってのはそういう 下世話(げせわ) な話が好きだね」
「あら、男ってのはそんなに下らないプライドが大事な生き物なの?」
 俺の軽口にラミーが飄々と返す。
 なぜか語り (ぐさ) になっている俺のオモシロ処分とは、俺が1年ほど前に参加したシッフス海上掃討作戦で、賓客(ひんきゃく) の一人を変装した実行犯グループと勘違いし海に叩き込んでしまった時、激怒した隊長に“一週間、毎朝漫才をやってみんなを笑わせる係”という発狂寸前の懲罰を厳命されたことや、禮国(れいこく) 国務大使館・親善大使として() (こく) を訪れていた電脳アイドルのイザベル=シャーリーンの護衛任務で、こっそりサインを貰おうとしたことが後にバレて、 “山ごもり修行で必殺技を編み出して来い”とカナティシュ大渓谷(だいけいこく) の奥地に置き去りにされたりという、経歴書に書くと親類が揃って号泣しそうな厳罰の数々のことを指す。思い出しただけで頭が痛くなってきた。
「――今回のミスは功罪相殺ってことで訓告だけ。ジエルド上官は何かいやらしい懲罰を考えてるらしいけど、俺一人の責任問題でもないらしいし」
 そう言って隣を見ると、ジエルドが嬉しそうにふふふと笑っていた。
「確かに今回のスーウェイ博士殺害に関しては、ティガ君の責任範囲を逸脱していた線もないではないからね。まあ、首謀者二人の死亡という幕引きは釈然としないけど、とりあえずティガ君の罰則は“今回の神経接続メンテを自分でやる”程度で我慢しようかな」
 勘弁してほしい。自分の脳味噌を自分で弄くる羽目になるくらいなら、割とかなり本気で辞表か 抗議行動(ストライキ) を考える。
「それより」これ以上このネタが長引くと、本格的に俺の居場所が剥奪されそうなので、俺は無理に話題を逸らした。「ローツ博士に関するデータは持ってきてくれたか?」
「そりゃああったわよ。我がギュネイ家の電脳図書館にないものなんてないんだから。でも、何に使うの?」
「別に。単なる学術的興味からだよ」
 ラミーが机の上を滑らせた親指ほどの薄青い記憶素子を手に取ると、俺は持ち歩いている携帯端末機のカートリッジに差し込んでデータを起動させた。表示スクリーンに、電子の青白い光が灯る。
 ソルヴェイルルク=ギ=ローツ。
 29歳の若さにして有機ナノマシン研究開発部の主任顧問研究員で、同時に中央生命倫理委員会の客員研究員も務める。平たく言えば天才だ。 流星人(ヒータ・ヴ) を母親に持ち、生まれながらに流浪の旅を続けていた遊牧一族の神童。部族の中でも抜き出た才覚を備えていたローツは(れい) 歴183年、18歳の若さでジェスクルウ王立中央学院に入学。当時は量子効果デバイスの基礎理論を研究するバリバリの理論派だったが、卒業後有機コンピュータの第一人者であるコッホ博士に師事し、生物工学へとその分野を移していく。苓歴189年、圧電効果と交流磁場による脳内ニューロン測定という論文で師の理論を自家薬籠中の物としたことを周囲に示すと、現在の研究所の前身であるヒーク・イギニス生態研究所に三顧の礼で迎え入れられる。以後、俺たち生体改変の研究開発にも深く関わり、彼の頭脳がなければ俺たち部隊の設立は10年遅れたであろうと言われている。まごうことなき、俺たちの育ての親の一人だ。
 続く彼の論文にも軽く目を通す。かなり膨大な量とデータが示されていたので、持ち帰って読むことにする。
 データのロードを示す赤い点滅を眺めていると、でさ、とラミーが体を乗り出した。
「ねえ、ローツ博士ってどんな人だった? カッコいい?」
「あれ。ラミー君は氏に会ったことはないのかい」
「名前くらいは知ってるけどね。有機ナノマシン開発部って別館でしょう? あんまり縁がなくって」
 俺は頬を掻いて答える。
「うーん、そうだなあ。美形といえば美形だったな。まだ若いし、髪の毛なんか真っ白で。物語に出てくる高貴な悪魔や死神って、ときどきえらく 眉目秀麗(びもくしゅうれい) に描かれることあるだろう? ちょうどそんな感じさ」
 あの時。
 狂信者ティエルンを『処理』した後、俺は奴の言うとおり地下研究所の隠し通路を通り、博士が監禁されている強化シェルターへと向かった。そこは元は有事における緊急退避用の施設だったのだろうが、堅牢な壁と 十重二十重(とえはたえ) のセキュリティは部外者に察知されることなく要人を監禁するのに持ってこいの構造をしていた。
 最後の量子錠を開いたところに、その男はいた。
 まず目につくのが、腰まで伸びる純白の長髪。照明を受けてところどころ銀色に輝くそれは、夜半に降る雨が警戒燈を受けて銀色の光を宿している時に酷似していた。
 さらに振り返った顔は整って色が薄く、睫が長い。まるで一流の造顔作家が生み出した擬人のようだ。鳶色の瞳は色彩に乏しく、どこを見ているのかはっきりしない。整った 鼻梁(びりょう) に白磁の肌。唇の色はひどく薄い。
 黙っていれば名のある彫刻品と言っても通りそうなその男は、ちょうど椅子から立ち上がりこちらに振り返るところだった。
「やあ、来たか」男は俺の姿を認めるとそう言った。思ったよりずっと低い、ぶっきらぼうと言ってもいいような声だ。「予想より380秒早かったね。さすがだ」
「ローツ博士、か?」
 男は背中にある電子機器の隊列を一瞥すると、微笑した。
「さあて。どうかな」
「……?」
「私はローツか。君たちの救出すべきソルヴェイルルク=ギ=ローツであるのか、否か? それを照明する (すべ) は皆無に等しい。人格や名前などといううつろう雲にも等しいものは、属性を表す看板たり得ないことを差し置いても、実に単純な詐術である可能性は、その排反事象と同じだけの確率で存在している。そして、それを()(しろ) として認識すること自体も無意味だ」
 俺は嫌な顔をしていただろう。
 こういうのを、世間ではたぶん先制攻撃という。俺はこの白髪の青年の発する神秘めいたオーラに呑まれ、どう返答したらいいのか一瞬頭が真っ白になる。
「ふふ、悪い。ただの冗談だよ。そんなに面白い顔をしなくていい」
 ローツ博士(推定)はおかしそうに言った。
 いかん。何故かは分からないが、この男は俺をからかっている。
 何だか無意味に腹が立ったので、俺はしばらく 呻吟(しんぎん) してから言葉を吐き出した。
恐悦至極(きょうえつしごく) style='font-size: 10.5pt;ながら、お迎えに上がりました、偉大なる父上。あなたの偉大なる御子(みこ) は九つの誓いにより、天空を彷徨う星々の顕現となり、また神々の嚆矢(こうし) となり夜を貫くでしょう。清月は流れ、海は沸き立ち、剣は夜を駆逐するでしょう。どうかその御霊(みたま) を、有機ナノマシン研究所へとお戻しください」
 慇懃に頭を下げる俺に博士が苦笑する。俺の台詞は金聖書の序章12節“ 言祝(ことほ) ぎ”から微妙にパクって一部改変したものだ。
 あまり互角の勝負とは言い難いが、とりあえず返事としてはまずまずだろう。
「面白い男だね、ティガ君。そんな反応をしたのは君が初めてだ」
「なぜ俺の名を、偉大なる父君?」
 博士が苦笑して手を振ったので、 慇懃(いんぎん) 無礼(ぶれい) ごっこはそこで終わりになった。
「私は軟禁状態とはいえ、学術活動の維持のために端末の使用は最大限許可されている。だから、この建物で起こったたいていのことは把握しているんだよ。加えて君の顔と名前は、以前目を通した書類で知っていた」
「そりゃあ話が早いことで」
「ここに長くいたおかげで、彼らのデータは最大限採取できたよ。すでに光磁ディスクに写してある。なかなか充実した設備だったが、そろそろ青い空とセリオンヌ軽飯店の厚揚げが恋しくてね。さて、準備は完了している。早いところ出よう」
 なんだかやけに落ち着いている。それに、 手筈(てはず) が整いすぎている気がする。
「博士、ここで何の研究を?」
「それは 秘匿(ひとく) 事項だよ。君がスリル溢れる報告書を読ませてくれるなら、教えてあげてもいいけどね」
 やっぱりからかわれているような気がした。

「……ティガ、本当にそんなこと言ったの?」
「言ったよ」
 俺が無表情に答えると、ラミーはうっそお、変な奴、と眉を寄せた。
「まあそうかな。でも、天才ってたいていヘンなんじゃないか?」
「博士じゃなくって、あなたのことよ」
「……悪かったな」
「ティガ君の変人ぶりは隊でも群を抜いているからね!」
 ジエルドが楽しそうに断定する。
 俺などからすればジエルドやラミー、さらにカフやバルゲロイなんかのほうがよっぽど変人だと思うのだが、そう言うと揃ってお前が一番変人だ、と異口同音に言い切られる。
 なんだか釈然としない。
「それで、博士はその後は?」
「接収の完了した設備の中を悠々とご帰還。正門前に止めてあった 螺鈿(らでん)輿(こし) で、サッサと研究所に戻っちまった」
「ふうん。なんだか普通ね。精密検査とかは受けなかったのかしら?」
「氏自身が拒んだらしいよ。そんな必要はないそうだって。軟禁とはいっても食料は十分に与えられていたらしいし、それどころかかなり典雅なもてなしを受けていたとか。ま、天才はどこ行っても最上級の扱いを受けるということかな。僕みたいにね」
 ジエルドは“ガズブレイブ”に来てから、自分が選ばれた人間だと公言して (はばか) らない。
「ま、何にせよこれで一件落着だ。本格的に休暇でも貰って、1ヶ月くらい羽を伸ばそうぜ。あーあ、ようやくクーンツ光機の派遣員ティガからおさらばだ」
「けっこう楽しそうだったじゃないか」
「ティガって結構 小役人(こやくにん) 向きなのよねえ」
「うるさい、気づかないフリをしてたことを言うなッ」
「ふっふっふ、実はティガ君はここに来る前、ユライオン化学材料の販売員をやっていたことがあるのだ」
「バラすなよ!」
 上司が気に入らなくて半年で辞めてやったのだが。
「えー、ホント? 意外ぃ。あたしはてっきり、どこかの監獄で執行間近の死刑囚か何かでもやってたんだと――」
 ラミーの何気ない言葉に、俺は黙り込む。
「え、何、ちょっと。図星?」
「いや、そんなわけないだろ」
 そう否定はしたものの。
 確かに俺に犯罪歴はない。だが、ある出来事が、俺の過去に深い傷を残しているのも、また確かだ。
 そこまで考えて、俺は脳裏によぎった幻影に苦いものを飲み込む。眉にかかる銀髪、憂いを帯び濡れた 黒瞳(こくどう) 、そして、鮮血のこぼれる唇。その唇が、その唇が、呪詛の言葉を紡ぎ、俺は――
(殺してくれ)
 頭を振ってその幻影を追いやる。
 過ぎたことだ。
「ま、ホラ、ここでは“過去を探らない”ってのは 不問律(ふもんりつ) みたいになってたりするから、忘れましょ」
 ラミーが取り繕うように両手を合わせる。
「僕は隠したりしていないぞ」 ジエルドが胸を張る。「そもそも、僕が……」
「その話はもーいー」
 俺が手で制すると、ジエルドが嫌そうな顔をする。部隊でその話を知らない奴はいないのだが、何度でも言って聞かせたいようだ。
 俺たちの部隊、 生体改変強化兵(ブーステッド) のみで構成された特殊部隊“ガズブレイブ”は、隊長を含む9名の隊員、および3つのサポートチームで構成されている。元は民間企業の営利救助隊だったらしいが、後に政府に“払い上げ”され現在の位置に納まった。任務は主にカウンターテロ、凶悪犯罪の鎮圧ほか、膠着状態にある北部のアル=クレイ割譲(かつじょう) (せん) への応援部隊として駆り出されることもしばしば。
 全員が生体改変手術を施行されており、どんな格闘家よりも強靱な肉体と、軍部で開発されている機械化兵団(通称サイボガード)にも () する戦闘能力を持つが、実は構成員のすべてが自ら望んでこの地位についたわけではない。
 俺たちに施されている外科手術はある特殊な遺伝子適合性が必要とされるらしく、その手術に耐えうる先天的な適合者は、エクスペンス人のわずか0.1%にも満たない。だから隊員たちは、むしろ頭を下げられてここに所属することになったものが多数を占める。俺やエスク、目の前のラミーを含めて。理由はそれぞれだ。その中でも、ジエルドは一風変わっている。
 ジエルドによると、この見た目に反比例して意外と人生経験豊富なエクスペンス人は、 西禮(せいれい) 地方の民族紛争で傭兵として従軍した際、砂と岩だけの荒野のど真ん中で、“紅蓮の悪魔(グランドゥ=リュ) style='font-size: 10.5pt;の(まが)() ”を偶然目撃したらしいのだ。
 それは黒みがかるほどに深紅をした炎の凝縮体のような奔流が、半径数キロ、高度五百キロに渡って天空へと凄まじい量で上昇していく自然現象だ。火山噴火と竜巻を足したような現象だが、そのどちらとも規模が桁違いに違う。非常にに (まれ) なこの現象は、地殻変動によるオープ素粒子の高密度流であるという一応の科学的説明がなされているが、その本質はいまだ闇の中にある。
 それを間近で目撃し、さらにその飛沫を額に浴びて、ジエルドの人生観は大きく決定づけられたらしい。自分を特別な人間だと公言するようになったのもそれからだ。何が何でも、必ずそれをもう一度見るのだとか。見てどうするのかと訊ねても、なぜか固く黙秘し口を割らない。だが、そのために人智を超える強靱な肉体が必要になる、んだそうだ。
 ジエルドの眉の上には、その時飛沫で裂けた額の傷がまだ生々しく残っている。最近のバイオ治療ならばその程度はすぐ治癒できるが、何でも一生そのままにしておくつもりらしい。
 ――ジエルドの無駄ストーリーに思考を費やしてしまった。俺はため息と共にそれを追い出す。
「誰が無駄ストーリーだというのだ」ジエルドが傲然と言う。
「……まだ何も言ってないだろ」
 時々、ジエルドは読心術を会得しているのではないかと本気で思うことがある。
「じゃ、あたしの用はそれだけだから」
 ラミーが三角帽子を持ち、椅子を引いて立ち上がる。
「あれ、もう帰るのか?」
「当然でしょ。今日は定期メンテの日だし。それまでに読んどかなきゃなんない本があるの」
 俺は眉を寄せる。おそらくラミーの言う本とはカルド教授の著書『中世異端審問の暗黒』だろう。歴史好きも、ここまでくるとかなり病気だ。
「いいでしょ、何読もうと。あたしが読みたいんだから」
 椅子を引き、帽子を被る。
「そンじゃね。男ふたり、寂しく飲んだくれてなさい」
 ひらひらと手を振り、踵を返す。
 その背中に何か言ってやろうと思ったが、うまい言葉が見つからなかった。
 と、ちょうどその時、俺の懐にある受信端末機が、澄んだ電子コール音を発した。あまり使われることがないので、少し動じる。誰からだろうと訝しがりながらも、内ポケットから取り出す。
 と、横から素早く白い手が伸びてきて、風のように俺の端末機を (さら) っていった。一瞬だった。
「はーい、こちらティガでぇす」
「……ラミィ」
 俺が低いうなり声で言うと、ラミーは端末機を耳に当て、茶目っ気たっぷりにウインクしてみせ、静かにしてね、とばかりに唇に立てた人差し指をあててみせる。
 ――こめかみに鈍痛がした。
「えー、はい。ちょっと今、出られないみたいで。え? なんであたしが出るのかって? ヤだなあ、深い意味なんてないですったら。勘ぐらないでくださいよ。……ええ、はい。あ、そうなんですか。なーんだ」
 ラミーの眉がみるみる寄せられたかと思うと、こちらを向き集音口を塞いで「仕事だって」といかにも残念そうに言った。
 誰からだと思ったんだ。
「え? はい。伝えときます。ええ。――え? 招集?」
 ラミーの顔がにわかに曇る。
「でも。定期メンテナンスは午後からじゃ。え、いつ決まったんですか? ええ。――緊急、ですか?」
 どうも雲行きが怪しくなってきた。
「何があったんですか? ――え、変わったこと? いえ、特には。でも、どうして――はい?」
 瞬間、ラミーの顔つきが凍り付いた。
「カフさんが、死体で……?」
 何だって!
 俺は椅子を蹴って立ち上がり、ジエルドと顔を見合わす。ジエルドも何が何だかといった表情をしている。
 ラミーのほうを見ると、彼女も視線だけで、よく分からない、と言った。
「いつです? ええ、はい。分かりました。すぐ向かいます」
 カフは俺たちの同僚で、30代後半の古参隊員だ。いつも沈着冷静で面倒見が良く、オーギュス隊長の右腕として常にチームを引っ張ってきた。年が年だけに力仕事は俺たちに譲ってきたが、それでも模擬戦闘では常に上位に食い込んでいる老獪な猛者だ。殺しても死ぬとは思えない。
 ラミーは不安そうな目で俺たちを順繰りに見てから、端末に向かって言った。
「でも、どうして。死因は何だったんです? ――ええ、大丈夫です。言ってください。――え?」
 ラミーは、一瞬だけ不可解な表情をした。驚きというより当惑。それは悲しみというより不審。
「――餓死?」
 俺たちの周りで、なにか途方もないことが起ころうとしていた。

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